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縫棟峠は、北側の[[明雪峠]]とともに[[関南地方]]東西を結ぶ交通の要衝であり、江戸時代には[[縫棟街道]]が整備された。明雪峠に比べると、距離が短く急勾配である。そのため明治に入ってから整備された国道は明雪峠を越えるルートをとった。このため縫棟街道は府県道として管理されることになる。<br> | 縫棟峠は、北側の[[明雪峠]]とともに[[関南地方]]東西を結ぶ交通の要衝であり、江戸時代には[[縫棟街道]]が整備された。明雪峠に比べると、距離が短く急勾配である。そのため明治に入ってから整備された国道は明雪峠を越えるルートをとった。このため縫棟街道は府県道として管理されることになる。<br> | ||
現在では[[丸箱鉄道白峰線]] | 西側に高原を抱える縫棟峠は、碓氷峠ほどではないものの、片勾配に近い地形である。そのため長大トンネルでは解決できず、峠の東側で勾配を稼ぐ必要がある。<br> | ||
現在では[[丸箱鉄道白峰線]]がトンネルで通過しているが、ループ線で勾配を克服している。ただし頂点付近ではやや北側の[[小室岳]]近傍を通る。<br> | |||
峠の名前の由来は、ベトナム語あるいはそれに近い言語で雪山を表す「Núi tuyết」(ヌイトゥイエット)から転じて'''ぬいとう'''になったとする説が有力である。 |