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== 概要 == | == 概要 == | ||
1988年に[[神谷急行電鉄]]警備部から独立する形で編制された、日本初にして唯一の民間法執行機関。その影響範囲は鉄道敷地内に限られていたものの、[[北上県警察|北上県警]]などとも協力し数々の事件を解決に導いた実績を持つ。また、[[神谷急行電鉄]]の関連鉄道事業者である[[水音鉄道]]や[[倉太急行電鉄|倉急電鉄]]のエリアにも派出所を持ち、その管轄範囲は実に3県に及ぶ。警備部に編成された神急特殊戦術部隊(KAST)は、北上県警に[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%80%A5%E8%A5%B2%E9%83%A8%E9%9A%8A SAT]が組織された今も北上県下最大の部隊であり、重大事件の際は北上県警から応援要請がなされることがある。 | 1988年に[[神谷急行電鉄]]警備部から独立する形で編制された、日本初にして唯一の民間法執行機関。その影響範囲は鉄道敷地内に限られていたものの、[[北上県警察|北上県警]]などとも協力し数々の事件を解決に導いた実績を持つ。また、[[神谷急行電鉄]]の関連鉄道事業者である[[水音鉄道]]や[[倉太急行電鉄|倉急電鉄]]のエリアにも派出所を持ち、その管轄範囲は実に3県に及ぶ。警備部に編成された神急特殊戦術部隊(KAST)は、北上県警に[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%80%A5%E8%A5%B2%E9%83%A8%E9%9A%8A SAT]が組織された今も北上県下最大の部隊であり、重大事件の際は北上県警から応援要請がなされることがある。<br> | ||
設立より長らくの間、法執行の行える範囲は鉄道敷地内に限られていたが、2015年に結ばれた北上県警察・[[神谷市警察局]]との三組織捜査協定により、鉄道敷地外にもその活躍範囲を広げることとなった。 | 設立より長らくの間、法執行の行える範囲は鉄道敷地内に限られていたが、2015年に結ばれた北上県警察・[[神谷市警察局]]との三組織捜査協定により、鉄道敷地外にもその活躍範囲を広げることとなった。 | ||
== 沿革 == | == 沿革 == | ||
1974年、[[神谷急行電鉄]]は設立からわずか3年にして[[高垣市]]の発展の追い風を受け、成長の真っ最中であった。これを敵対視した[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E5%B7%A6%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E9%9B%86%E5%9B%A3 武闘派左翼グループ]、“東山統一赤軍”は神急に爆破を予告。実際に神谷駅留置線に停車中の[[神谷急行電鉄100系|100系]]1編成を白昼堂々と爆破、隣接する[[北陽本線|国鉄線]]を走行中だった[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8472%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A#%E3%83%A2%E3%83%8F62%E5%BD%A2%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%8F66%E5%BD%A2 62系電車]2両が延焼。およそ150名の負傷者を出した(第一次[[神急電車爆破事件]])。これに対し当時の神谷急行電鉄は徹底した抗戦を表明し、社内に警備部を設立。北上県警察協力の上職員75名が[[北上県警察学校|警察学校]]で研修を受けた。この75名は[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E8%AD%A6%E6%A3%92 特殊警棒]などで武装し、3人単位の巡回班を組み主要駅及び鉄道施設にて警備に当たった。民間人ながらテロに屈しない姿勢を見せた彼らは世間の新左翼離れも相まって賞賛を浴び、民間版[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E5%85%AC%E5%AE%89%E8%81%B7%E5%93%A1 鉄道公安官]として注目されることとなる。 | 1974年、[[神谷急行電鉄]]は設立からわずか3年にして[[高垣市]]の発展の追い風を受け、成長の真っ最中であった。これを敵対視した[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E5%B7%A6%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E9%9B%86%E5%9B%A3 武闘派左翼グループ]、“東山統一赤軍”は神急に爆破を予告。実際に神谷駅留置線に停車中の[[神谷急行電鉄100系|100系]]1編成を白昼堂々と爆破、隣接する[[北陽本線|国鉄線]]を走行中だった[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8472%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A#%E3%83%A2%E3%83%8F62%E5%BD%A2%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%8F66%E5%BD%A2 62系電車]2両が延焼。およそ150名の負傷者を出した(第一次[[神急電車爆破事件]])。これに対し当時の神谷急行電鉄は徹底した抗戦を表明し、社内に警備部を設立。北上県警察協力の上職員75名が[[北上県警察学校|警察学校]]で研修を受けた。この75名は[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E8%AD%A6%E6%A3%92 特殊警棒]などで武装し、3人単位の巡回班を組み主要駅及び鉄道施設にて警備に当たった。民間人ながらテロに屈しない姿勢を見せた彼らは世間の新左翼離れも相まって賞賛を浴び、民間版[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E5%85%AC%E5%AE%89%E8%81%B7%E5%93%A1 鉄道公安官]として注目されることとなる。<br> | ||
神谷急行電鉄警備部はそれからも鉄道マンならではの視点と知識で凶悪事件解決に一役買い、1986年のカスミ・長森事件では惜しくも主犯は足取りを掴めなかったものの[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E4%BF%82 特殊捜査班]が犯行グループの一名を確保。その優秀さを世に知らしめた。 | 神谷急行電鉄警備部はそれからも鉄道マンならではの視点と知識で凶悪事件解決に一役買い、1986年のカスミ・長森事件では惜しくも主犯は足取りを掴めなかったものの[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E4%BF%82 特殊捜査班]が犯行グループの一名を確保。その優秀さを世に知らしめた。<br> | ||
その後神谷急行電鉄警備部が神急鉄道警備隊として独立するのは1988年のことであり、この時に鉄道敷地内での警察権を保有するに至った経緯は永田町の歴史的な謎の一つとされている。その後も1995年の全日航765便ハイジャック事件において創設初期の神急特殊戦術部隊(KAST)が出動するなど、話題には事欠かない。なおこの事件で水音空港に出動したKASTは、本来鉄道敷地外で活動するのに必要な手続きを踏まずに突入している。これについては批判も寄せられたが、当時の警察庁長官は取材に対し「空港に向かっていたSATがまだ県外だったことや犯人との交渉が決裂しつつあったことなどを考慮すると止むを得ず、正規の手続にとらわれずに人命を優先した英断」<ref>新日本通信1995年6月22日付朝刊</ref>とコメントした。 | その後神谷急行電鉄警備部が神急鉄道警備隊として独立するのは1988年のことであり、この時に鉄道敷地内での警察権を保有するに至った経緯は永田町の歴史的な謎の一つとされている。その後も1995年の全日航765便ハイジャック事件において創設初期の神急特殊戦術部隊(KAST)が出動するなど、話題には事欠かない。なおこの事件で水音空港に出動したKASTは、本来鉄道敷地外で活動するのに必要な手続きを踏まずに突入している。これについては批判も寄せられたが、当時の警察庁長官は取材に対し「空港に向かっていたSATがまだ県外だったことや犯人との交渉が決裂しつつあったことなどを考慮すると止むを得ず、正規の手続にとらわれずに人命を優先した英断」<ref>新日本通信1995年6月22日付朝刊</ref>とコメントした。 | ||