鳥丘急行鳥丘北線

提供:関南・東山地方Wiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

 

鳥丘北線
丸江津駅付近カーブを通過する103系快速瀬田行き
丸江津駅付近カーブを通過する103系快速瀬田行き
基本情報
所在地 鳥丘県七島県
起点 成沢駅
終点 丸江津駅
駅数 7(信号所含む)
所有者 鳥丘急行
運営者 鳥丘急行
使用車両 103系など
路線諸元
路線距離 7.4km
軌間 1067mm
線路数 単線:智美大島信号所 - 丸江津
複線区間 成沢 - 智美大島信号所
電化区間 全線
電化方式 直流1500V架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞
保安装置 ATS-P
最高速度 120km/h
テンプレートを表示


鳥丘北線(とりおかほくせん)は、鳥丘県横川市成沢駅から七島県丸子市丸江津駅までを結ぶ鳥丘急行の鉄道路線(幹線)である。
瀬田方面への連絡線の役割を有する日本国有鉄道(国鉄)の予定線「鳥丘北線」として着工され、紆余曲折のすったもんだの末、第三セクターの鳥丘急行によって営業を開始した。
SR中央線およびJMR中央線とを連絡しており、関南中央環状線を構成する路線の一つ。


概要

鳥丘北線は、関南中央環状線を形成する路線群の内の一つで、民間私鉄ながら路線の特性からJMR系路線として認識されている。
国鉄時代に完成を見なかった、成沢駅 - 丸江津駅間の路線計画を第三セクターとして分離し、キラキラのスーパー特急方式での建設を目論んだが、何があったのか通勤新線として開業することとなった。
車両に関しても何があったのか103系と183系という取り合わせになっており、とても北越急行を参考に建設されたとは思えない惨状となっている。
線内全ての駅が乗換駅となっており、各駅での乗り換え需要も大きい。沿線は瀬田や鳥丘の通勤通学圏であり、成沢駅と丸江津駅を除く全駅の周辺が新興住宅地として発展している。通過需要と線内需要双方が旺盛で、現在においては第三セクターとして分離した意義を失っている。
なんなら鳥丘 - 西京間の路線が通勤通勤通勤しているので、伏戸地方とそれ以外の地方を結ぶ唯一の貨物路線となっており、需要がくっ狂っている。
成沢駅より西側はSR中央線瀬田駅まで直通が行われており、丸江津駅より東側はJMR中央線泣川駅まで直通が行われている。
当線用の車庫としては東背岡電車区があり、東背岡駅から入出庫線が伸びている。

路線データ

  • 管轄・路線距離(営業キロ):
    • 鳥丘急行(第一種鉄道事業者)
    • 箱日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
  • 軌間:1,067 mm
  • 駅数:7(信号所含む)
  • 旅客駅:6(起終点駅含む)
  • 貨物駅:0(旅客併設駅のぞく)
  • 複線・単線区間
    • 複線
      • 成沢駅 - 智美大島信号所
    • 単線
      • 智美大島信号所 - 丸江津駅
  • 電化区間:全線直流1,500V

沿線概況

成沢駅の鳥丘急行線ホームは駅の東端に設けられており、1,2番線から発着する。SR中央線を進行方向右手に見ながら盛土を上がり、半径300mの90度カーブに差し掛かる。ここまでは上り線側に線増を行った区間であるが、カーブから先は下り線側を線増している。このためSR線分岐点付近から、盛土の形態が左右入れ変わる。カーブに入ると左手に成沢南公園があり、続いて重代プロムナードが見える。この直下を片側4車線の重代道路が通過している。付近は成沢市街地の外縁部で、住宅やマンションが立ち並ぶ。
カーブを曲がり切った先が、はらやま駅である。SR若宮線への連絡線との立体交差のため、下り線側は地上階、上り線側は高架2階にホームがある。SR若宮線は地下1階に半地下構造のホームを有しており、駅舎は共用となっていて改札を介さず乗り換えができる。このほか鳥丘急行単独の旧駅舎が新駅舎東側に現存している。
はらやま駅を出ると、すぐに北方および南方から、若宮線との連絡線が接続してくる。下り線ははらやま駅で双方ともに合流するが、上り線の六宮駅方面の連絡線のみは、背岡駅での分岐である。連絡線との立体交差を終えると、盛土に復帰して瀬田電気鉄道瀬田本線をくぐると背岡駅に到着する。
背岡駅は当初計画のまま残る唯一の駅で、盛土も建設当時から変わらない。瀬田電鉄との連絡通路は、下り線側成沢方に設置されている。その背岡駅を出て、線路は上り勾配となる。若鳥バイパスを跨ぎ越し、東背岡電車区を左に見ながら、電車区への入出庫線をオーバーパスする。入出庫線は本線を抱きかかえるように敷設されており、それが合流すると東背岡駅である。この付近は、背岡駅から続く住宅街の外縁に当たる。
東背岡駅では横崎鉄道線と接続する。東背岡駅から先は、最初のトンネルである背岡トンネルに入り、丘陵を抜けて小松台駅に到着する。
小松台駅は谷間に建設された駅で、直下に瀬田電気鉄道湾岸線の駅がある。沿線は新興住宅地となっており、高層マンションが立ち並ぶ。
小松台駅から先は大島トンネルに入り、トンネル内にある智美大島信号所から単線となる。トンネルを抜けると七島県に入り、勾配を下りながら丸江津市街地へ入っていく。その先にあるカーブは当線で最も急な曲線である。JMR中央線と合流すると、川を渡って丸江津駅に到着する。

沿革

これはほとんど瀬田鯖内の実話であり、公式記録、関係者の証言を基に構成している。

高速新線計画

同じ「中央線」ながら連結していなかったSRJMRであったが、この間を結ぶ路線として当線は計画された。計画策定に当たり、箱日本を縦貫する南海道本線及び関山本線と瀬田方面を短絡できるルートであることが勘案され、スーパー特急方式での整備が決定された。
当初特急列車の160km/h運転を行うことが想定され、普通列車は2両~4両、その他貨物列車の運行も企図した。だがこの時点では、特急列車の具体的な運転については定めていない。
JMR側接続駅は七島県丸子市丸江津駅が当初より決定されたものの、鳥丘県内のルートに関して

  • A案:横川駅 - 東森 - 丸江津駅
  • B案:成沢駅 - 東森 - 丸江津駅
  • C案:六宮駅 - 背岡 - 丸江津駅

の3案が答申[1]された。初期の段階でSR側では六宮駅接続を希望していた[2]が、当線の線形が遠回りになるとの判断から横川駅分岐のA案を基本に検討が行われた。だが横川駅周辺はすでに発展していて用地取得に難があることから敬遠され、最終的には建て替えが予定されていた成沢駅受け入れのB案という形で決着した。
だが答申ルートでは高速運転に適さない急曲線が生まれること、周辺道路との立体交差を再検討[3]したことから、成沢駅接続としつつもC案を主体とした計画となった。
途中駅は背岡駅小松台駅の2駅で、全線単線とする計画で着工した。この段階で成沢駅および丸江津駅の接続部は完成している。

第二次計画・輸送力増強

二次計画により建設されたはらやま駅(1代目・建設当時の仮駅名は鳥丘丘陵駅)

ところが、着工した後で成沢駅周辺に業務核都市[4]としての機能が期待されていることが判明。従来の計画では普通列車の輸送力に問題があると思われたことから、計画を変更することとした。
成沢市街地外縁部に交換駅として成沢駅 - 背岡駅間に鳥丘丘陵駅(現:はらやま駅)を新たに設置。成沢駅に隣接させる予定であった車庫を移転させるため、背岡駅 - 小松台駅間に東背岡駅を設けることとされた。
これら二次計画で策定された駅に関しても交換駅とし、普通列車の増発に耐えうるものとされたが、単線主体とする計画に変更はなかった。ただし鳥丘丘陵駅 - 背岡駅間は駅間が短いために複線とすることとなった。
この計画に基づき、鳥丘丘陵駅(現:はらやま駅)、背岡駅が完成している。

第三次計画・通勤新線へ

ところが、背岡駅完成後に、背岡駅南の比丘尼橋駅比丘尼ヒカリエが爆誕。沿線の都市規模が爆上がりしたことにより、二次計画では普通列車の輸送力に難があると思われた。さらに小松台駅が建設中の瀬田電気鉄道湾岸線との乗換駅に設定されることとなり、いよいよもって沿線の都市化が約束されてしまった。
そのため全線を複線主体とする計画に変更。2扉車2両~4両とされた車両計画も4扉車6両編成に変更され、大半の列車でSR中央線との直通も行うこととされた。
この輸送力を保持するため、東背岡駅の貨物中線を1線から2線に増強することとした。特急列車の高速運転を行う中では、他列車との速度差が問題となる。普通列車との待避は小松台駅で行い、東背岡駅では貨物列車との待避を担うという構想であった。そのほか前後に単線が挟まる線形であったことから、上下列車ともに線内での時分調整が求められ、貨物列車の本数も多くなると予想されたための線増であった。
旅客面では着工済みのはらやま駅・背岡駅はホームの延長がなされたほか、当初無人駅とする予定だった各駅の有人化もこの段階で決定された。
計画本数も大幅に増便となり、当初普通列車上下毎時4本程度とされていたが、第三次計画では上下毎時12本となった。このため背岡駅では、吹きさらしであったホームに壁を設置するなど、旅客への配慮を一段と行うこととなった。なおはらやま駅に関しては、駅舎を含めた改築計画もあったことから、抜本的な改良は見送られている。
一方で特急列車160km/h運行自体は諦めず、防音壁やホームドアを設置するなどの各種対処を検討することになった。

第四次計画・外郭環状路線の完成

ところが、横崎鉄道線が東背岡駅に乗り入れることが決定され、三度計画変更を余儀なくされた。もともと東背岡駅は乗換駅となる想定はされておらず、前後線形の関係から地上高度5m程度の盛土駅となる予定であった。しかし地上高度を行く横崎鉄道をオーバーパスするために地上高度8m程度としなければならず、このため前後の縦断線形が変更されることとなった。
背岡駅 - 東背岡駅間約1.2kmの線形は、背岡駅で瀬田電鉄本線を地上高度3でアンダーパスし、駅間で東背岡電車区入出庫線を地上高度10でオーバーパス、さらに東背岡駅で横崎鉄道を地上高度8でオーバーパスしつつ、立体交差した入出庫線と合流しなければならない。このためほとんどの区間が勾配となり、分岐器に捻出できるスペースが足りなくなってしまった。
この段に至り、鳥丘北線における特急列車の160km/h運行を断念。10‰に抑えられていた勾配も20‰に緩和し、曲線半径も小さいものが採用されることとなった。
なお東背岡電車区については当初、入出庫線の立体交差が難しいことから一時計画が白紙撤回されるも[5]、先述した勾配制限の緩和でなんとか設置できることとなり、自社管内に車庫が無いという事態は避けられた。ただし車庫設置地点の検討中に、定期検査・検修業務はSRに委託することで合意しており[6]、この関係で検車機能については省略されている。このため東背岡電車区は当線唯一の運行拠点でありながら、電留線のみの設備となっている。ちなみに工事前の仮称では東背岡「検車区」となっていたが、以上の経緯に合わせて東背岡「電車区」に変更となった。
一方で東背岡駅計画は、高速運転の断念により従来の2面3線計画に戻され、代わって輸送力増強として智美大島信号所が計画に加え入れられた。小松台駅 - 同信号所間も複線として単線区間の短縮を図ることとなった。 以上の計画に基づき、東背岡駅、小松台駅、智美大島信号所が建設された。
紆余曲折でなあなあになっていた運用車両も、西南線でお払い箱となった103系により賄うことが決定。特急「はばたき」に運用する特急車両も、SR側で調達の都合がつかないことからJMR中坂電車区所属の183系により運用されることとなった。
第三次計画で検討開始された、線路への防音壁設置や駅へのホームドア設置(転落防止ではなく通過列車対策)は、この時点で廃案となっている。

以上のような経緯で、鳥丘北線は路線中間に行くほど線路規格が下がる路線となっている。このため将来的な高速化さえも難しい。

第五次計画・中核幹線へ

ところがこれで終わりではなく、竣工間際になってから、はらやま駅を貫通する貨物新線計画(現:若宮線)が浮上した。これは成沢駅の平面交差を解消するための事業の一環である。比丘尼橋エリアおよび東背岡エリアの発展を考慮して、当線の計画本数を見直した結果、成沢駅北側にて毎時上下16本が中央線と支障することが発覚した。このため、成沢駅を迂回する貨物新線を建設し、成沢駅の通過本数を削減したうえで配線変更を行うこととなった。
この貨物新線であるが、当線との接続が最初から考慮され、当初計画では成沢駅以北で折り返しが必要であった中坂 - 栄京方面輸送の円滑化が図られた。これにより、はらやま駅 - 背岡駅間に新たに短絡線を敷設することとなった。
ところがこの短絡線を建設するにあたり、当線はまたも線形変更を余儀なくされる。短絡線は当初、当線から栄京方面への接続のみを計画していたため、当線へは分岐器の設置のみで対応できると思われた。しかし検討の結果、当線から堅賀野線方面にも分岐が必要であると判断された。これは貨物列車の成沢駅迂回が必要であること、堅賀野線終端の築ヶ波貨物ターミナルが国際貨物も取り扱う一大物流拠点であること等が理由として挙げられる。
このため、背岡駅側から見て3方向に分岐するという、当初予定よりも大規模な短絡線を建設することとなった。しかし沿線は開発が進んでおり、多くの用地を捻出することはできなかった。また敷設される貨物新線は、はらやま駅から2km北方の堅賀野線を高架で分かれる計画であるが、他路線接続の関係から、はらやま駅以南は地下トンネル(高度54)とすることが決定されていたため、貨物新線側の高度を変更することもできなかった。さらに貨物新線および短絡線は営業列車の運行も想定され、沿線の開発状況から本数が増便されることも考慮して、短絡線は全方向複線・立体交差とすることが決定した。だが第四次計画の状態では建設困難なため、完工していた当線の線形を短絡線の線形に合わせて改築することとなった。皮肉なことだが、高速新線として勾配を抑制して建設したことで、改築によって立体交差部を生み出すだけの線形の余裕があったのである。
一方、貨物線を高度54で建設する関係で、はらやま駅北方100mで同高度にある重代道路が障壁となっていた。そのためこの工事に先立って、道路線形の改造を管理者である豆府鉄道に要請している。この関係で重代道路は、貨物線との立体交差部にあたる部分が約8m掘り下げられることになった。
以上の計画に基づき当線では、建設完了していたはらやま駅ホームおよび盛土を撤去し、前後の線形が大きく変更されることとなった[7]。はらやま駅は、丸江津方面ホームが地上階、瀬田方面ホームが2階という変則配置となり、これにより短絡線を全方向に立体交差で分岐させることができるようになった。だがこの関係で、はらやま駅で単線に収束することができなくなったため、成沢駅 - はらやま駅間の複線化も同時に行われた。このため、開業時点で単線区間は智美大島信号場以東を残すのみとなった。
成沢駅 - はらやま駅間の複線化は、開発済みの土地を避けつつ、極力既存施設を使用するよう設計された。成沢駅 - 中央線分岐点付近は従来線の西側(SR線寄り)に一線を線増[8]し、中央線分岐点 - はらやま駅は、従来線の北東側に線増を行った。このため曲線の始終端がやや歪な線形となっている。いずれも盛り土を拡幅するよう工事されており、土盛側が旧線、コンクリートで固められた側が新線となっている。このため従来線の線形がわかりやすくなっている。
なおはらやま駅について、社長の「最後の意地で、当初計画の面影は残したい」という意志により、駅舎は再利用されている。このはらやま駅舎に残された自動ガラス戸(現在は常時開放)は、普通列車到着時以外は旅客をホームに入れないために設置されたもので、当線がスーパー特急方式で計画され、160km/h運転を行う構想であったことを物語る数少ない遺産となっている。

第六次計画・全線複線化へ

ここまでで、当線は開業を果たしている。
ところが、開業時点では智美大島信号所 - 丸江津駅間2.2kmが単線区間として残っていた。この区間を通過できるのは毎時上下合わせて12本と見積もられたが、特急はばたきで最大上下4本、普通電車で上下6本が通過するため、残る貨物列車に充てられるのは毎時2本の1往復のみとなっていた。このままでは増発余地がなく、また前後の区間の遅延にも弱いネックとなることが確実であった。沿線自治体や若宮線関係者からも増発(あるいは増発余地)を望む声が上がっており、この区間の抜本的な対策が急務であった。鳥丘急行社内で、トンネル内のみの複線化や高速化など、いくつかの案が検討されたが、最終的に全線複線化が妥当であろうと結論付けられた。そのため残る単線区間の複線化が、開業後から着手されることになった。
報道によれば[9]、大島トンネル内に位置する智美大島信号所から新設下り線となる新大島トンネルを掘削し、北側に一本線増する計画である。またJMR側では、丸江津駅の荷扱いホームであった3,4番線について、旅客化を行い、当線折り返し列車用のホームとすることとなった。

SR/JMR編入論

当線は以上のような経緯で、形態は完全に通勤新線であり、瀬田方面への通勤利用が大部分を占める。さらに鳥丘方面への接続も良好であることから、丸江津駅以東からの通過利用も多い。だが会社境界が成沢駅丸江津駅にそれぞれあるため、通過利用する場合の初乗り運賃が問題となっている。また当線の運行はほぼ独立しておらずSR線JMR線との繋がりが大きいこと、民間企業であっても堅調な経営が可能であるとの分析から、両社のどちらかに編入するべきであるとの論調があった。
それぞれの場合の境界駅は以下の通りとなる。

  • SR編入案:丸江津駅
国鉄分割に際して考慮された事項、「通過列車・通過旅客数のできるだけ少ない場所を境界点とする」を基にする案。
  • JMR箱日本編入案:成沢駅
鳥丘急行がJMR箱日本系の路線として計画・建設・運営が行われている[10]ことを考慮した案。

周辺自治体により両案ともに検討が行われたが、旅客流動を考えて、境界駅が丸江津駅となるSR編入が最適とされた。これが実現すると、並行する瀬田電気鉄道瀬田本線倉急烏倉線よりも、運賃面、運行時分の面で優位に立つとされている。

これらの検討をもとにSRとの協議が行われ、編入に向けた協定が結ばれた。それによれば、SR編入後も路線名の「鳥丘北線」やラインカラー(オレンジ)はそのままとし、一方で車両については103系置き換えのためにSR中央線と同型の新型車両投入を行うこととなっている。

第七次計画・地域間幹線へ

ところがSRへの編入は即時には行われなかった。これは鳥丘急行側の準備およびSR側における準備両方が長引いたことによる。しかしその間に伏戸地方が西に存在することが判明し、伏戸 - 関山 - 東山間の唯一の幹線となることが決まってしまった。このためSR編入より前から地域間幹線への飛躍が求められ、全線複線化をはじめとした輸送力増強を行っている。

特に貨物列車の運行経路を他に持たない伏戸地方からは、当線の輸送力増強あるいは貨物新線の建設が再三要望されている。

運行形態

優等列車

上下毎時1本が運行されており、全列車がSRおよびJMRに直通する。線内の停車駅は成沢駅および丸江津駅となっている。また朝夕時間帯には瀬田駅発着便が増便される。JMR箱日本車の183系による運転が行われている。

一般列車

普通列車および快速列車が運転されているが、快速列車も当線内は各駅停車であり、通過駅があるのは直通先のSR中央線内のみである。日中はSR中央線直通の快速のみの運行となる。
各駅停車、快速ともに、丸江津駅発着と小松台駅発着がほぼ同じ本数存在するダイヤだが、東背岡電車区への入出庫の関係で、東背岡駅止めの列車が上下に設定されている。また東背岡駅 - 小松台駅の送り込み回送列車もあり、これは小松台駅発着の瀬田駅方面の列車となる。

普通列車

早朝から朝ラッシュ、夕ラッシュから深夜にかけての運行で、線内のみの運行が基本となる。朝ラッシュと夕ラッシュ時間帯は、SR中央線直通の快速パターンの合間に増発の形で運行される。早朝および深夜においては快速の本数が少ないため、SR中央線との接続を考慮したダイヤとなる。
電光掲示板および駅・車内放送などの旅客案内は「各駅停車」で統一されている。なお、丸江津方面の下り列車は、各駅停車しか運転されていないが、これは線内通過駅のない快速列車が成沢駅で案内を変更しているためである。詳しくは次項を参照のこと。

快速列車

SR中央線直通の種別。線内に通過駅はない。SR中央線内は瀬田駅 - 横川駅 - 成沢駅に停車する。
日中時では、瀬田駅 - 小松台駅間が毎時3本、瀬田駅 - 丸江津駅間が毎時2本、瀬田駅 - 泣川駅間が毎時1本の計毎時6本が運行されている。全列車がSR中央線に直通し、日中は快速列車のみの運行となる。運用車両は鳥急車のほか、SR車も運用される。SR -鳥急 - JMR直通は毎時1本で、鳥急車により運用されている。
瀬田行きの上り列車は全区間「快速」で案内されるが、下り列車は瀬田駅 - 成沢駅で「快速」、成沢駅以降は「各駅停車」として案内される。

日中の運行パターンと運転本数
種別\駅名 瀬田 成沢 小松台 丸江津 泣川
SR - 鳥急 - JMR直通 快速 1本
SR - 鳥急直通 2本
3本

貨物列車

旅客列車の合間のわずかな時間を見つけて、何者かが無茶苦茶に走らせている。平均すると毎時1 - 2本程度は当線を通過する。定期列車としては若宮線との直通のみで、成沢駅 - はらやま駅間には設定されていない。東側では全列車がJMR中央線へと流れ、中坂経由で各地方へと向かう。

使用車両

鳥丘北線では現在、以下の車両が使用されている。

特急車両

JMR箱日本およびSRの乗り入れ車両で運用されており、自社車両はない。

箱日本旅客鉄道

183系 - 特急「はばたき」など
JMR箱日本中坂電車区所属のグリーン車組み込み8両編成を使用している。運用は特急列車の「ゆのかわ」や「はっさく」と共通運用となっている。

速度計旅客鉄道

S261系 - 特急「はばたき

普通列車

自社車両およびSR車で運用されており、JMR箱日本車の定期乗り入れはない。

自社車両

103系
開業時にJMR中央線より6両編成6本が転入し、朱色1号塗装のまま運用を開始した。その後半数が白地に朱色1号と黄色5号の帯を巻いた塗装に変更された。6両編成のうち2本は3両編成を2本繋げた6両であり、時折新旧混色編成を見ることもできる。運用区間はSR線瀬田駅からJMR線泣川駅までで、JMR直通は103系の専用運用となっている。

SR

S235系
6両組成・特別車なしという条件に合致する車両として中央線筋より転用された。VVVF制御のため静音で、冷房も良く効くので、沿線住民からは自社車両より人気がある。JMR直通には使用されない。

過去の使用車両

  • 電車

駅一覧

  • 停車駅凡例・・・●:停車、|:通過
駅名 営業キロ 接続路線 所在地
駅間 累計
直通運転区間 中央線 (SR)瀬田駅まで
空港線谷海空港第2ビル駅まで(特急「はばたき」のみ)
成沢駅 0.0 0.0 中央線 (SR)堅賀野線空港線 鳥丘県 横川市
はらやま駅 1.1 1.1 速度計旅客鉄道:若宮線
背岡駅 0.5 1.6 瀬田電気鉄道:瀬田本線 本城市
東背岡駅 1.2 2.8 横崎鉄道:本線
小松台駅 1.5 4.3 瀬田電気鉄道:湾岸線
智美大島信号所 0.9 5.2
丸江津駅 2.2 7.4 箱日本旅客鉄道:中央線 (JMR)
丸箱鉄道白峰線 
七島県 丸子市
直通運転区間 中央線 (JMR)泣川駅まで(普通・快速電車)
中央線 (JMR)中坂駅まで(特急「はばたき」のみ)

脚注

  1. Discord瀬田鯖チャット#railwayにて2017年12月14日答申。
  2. 2018年3月14日。DiscordSRグループチャット#talk
  3. 成沢駅前後のスプロールにより、鳥急線予定地すぐ東側に生活道路が爆誕してしまった。この道路は管理者が異なることから途中で切断するわけにもいかず、立体交差せざるを得なくなった。この関係で成沢駅すぐ南から曲線とする当初計画を取りやめ、SR中央線と並走して勾配を駆け上り、生活道路を跨ぎ越す線形となった。なおこの計画変更により、背岡駅までのアップダウンが生まれてしまうことになった。
  4. 目標とする開発規模は「都内特急停車駅と同等」レベルとされ、立川駅が具体例として挙がっていた。
  5. Discord瀬田鯖チャット#railwayにて.2021年02月06日
  6. 車庫の確保が困難な場合は、車両運用に関する業務すべてを、SR中央線の横川車両センターで受け持つことで合意していた。
  7. 線形改良はSR側による貨物線敷設計画の認可取得を待って着手されることになった。2021年6月3日に認可が下りたことを受けて工事開始。はらやま駅 - 背岡駅間の立体交差部の路盤工事は、2021年6月4日から5日にかけて行われた。
  8. この用地捻出のため、SR側に協力を要請し、SR中央線と当線に挟まれていた運輸区が解体撤去された。
  9. "鳥丘北線ついに全線複線化へ"七島新聞 (七島新聞社). (2021年6月23日)
  10. 当線で運用されている103系電車はJMR箱日本からの借入車であり、特急「はばたき」で運用される183系もJMR箱日本所属車である。