「鳥丘急行鳥丘北線」の版間の差分

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'''鳥丘北線'''(とりおかほくせん)は、[[鳥丘県]][[成沢市]]の[[成沢駅]]から[[七島県]][[丸子市]]の[[丸江津駅]]までを結ぶ[[鳥丘急行]]の鉄道路線(幹線)である。<br>
'''鳥丘北線'''(とりおかほくせん)は、[[鳥丘県]][[横川市]]の[[成沢駅]]から[[七島県]][[丸子市]]の[[丸江津駅]]までを結ぶ[[鳥丘急行]]の鉄道路線(幹線)である。<br>
瀬田方面への連絡線の役割を有する日本国有鉄道(国鉄)の予定線「鳥丘北線」として着工され、紆余曲折のすったもんだの末、第三セクターの鳥丘急行によって営業を開始した。<br>
瀬田方面への連絡線の役割を有する日本国有鉄道(国鉄)の予定線「鳥丘北線」として着工され、紆余曲折のすったもんだの末、第三セクターの鳥丘急行によって営業を開始した。<br>
[[中央線 (SR)|SR中央線]]および[[中央線 (JMR)|JMR中央線]]とを連絡しており、[[関南中央環状線]]を構成する路線の一つ。
[[中央線 (SR)|SR中央線]]および[[中央線 (JMR)|JMR中央線]]とを連絡しており、[[関南中央環状線]]を構成する路線の一つ。
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車両に関しても何があったのか103系と183系という取り合わせになっており、とても北越急行を参考に建設されたとは思えない惨状となっている。<br>
車両に関しても何があったのか103系と183系という取り合わせになっており、とても北越急行を参考に建設されたとは思えない惨状となっている。<br>
線内全ての駅が乗換駅となっており、各駅での乗り換え需要も大きい。沿線は瀬田や鳥丘の通勤通学圏であり、成沢駅と丸江津駅を除く全駅の周辺が新興住宅地として発展している。通過需要と線内需要双方が旺盛で、現在においては第三セクターとして分離した意義を失っている。<br>
線内全ての駅が乗換駅となっており、各駅での乗り換え需要も大きい。沿線は瀬田や鳥丘の通勤通学圏であり、成沢駅と丸江津駅を除く全駅の周辺が新興住宅地として発展している。通過需要と線内需要双方が旺盛で、現在においては第三セクターとして分離した意義を失っている。<br>
なんなら鳥丘 - 西京間の路線が通勤通勤通勤しているので、[[伏戸地方]]とそれ以外の地方を結ぶ唯一の貨物路線となっており、需要がくっ狂っている。<br>
成沢駅より西側は[[中央線 (SR)|SR中央線]][[瀬田駅]]まで直通が行われており、丸江津駅より東側は[[中央線 (JMR)|JMR中央線]][[泣川駅]]まで直通が行われている。<br>
成沢駅より西側は[[中央線 (SR)|SR中央線]][[瀬田駅]]まで直通が行われており、丸江津駅より東側は[[中央線 (JMR)|JMR中央線]][[泣川駅]]まで直通が行われている。<br>
当線用の車庫としては[[東背岡電車区]]があり、[[東背岡駅]]から入出庫線が伸びている。
当線用の車庫としては[[東背岡電車区]]があり、[[東背岡駅]]から入出庫線が伸びている。
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ところが、背岡駅完成後に、背岡駅南の[[比丘尼橋駅]]に[[比丘尼ヒカリエ]]が爆誕。沿線の都市規模が爆上がりしたことにより、二次計画では普通列車の輸送力に難があると思われた。さらに小松台駅が建設中の[[瀬田電気鉄道湾岸線]]との乗換駅に設定されることとなり、いよいよもって沿線の都市化が約束されてしまった。<br>
ところが、背岡駅完成後に、背岡駅南の[[比丘尼橋駅]]に[[比丘尼ヒカリエ]]が爆誕。沿線の都市規模が爆上がりしたことにより、二次計画では普通列車の輸送力に難があると思われた。さらに小松台駅が建設中の[[瀬田電気鉄道湾岸線]]との乗換駅に設定されることとなり、いよいよもって沿線の都市化が約束されてしまった。<br>
そのため全線を複線主体とする計画に変更。2扉車2両~4両とされた車両計画も4扉車6両編成に変更され、大半の列車でSR中央線との直通も行うこととされた。<br>
そのため全線を複線主体とする計画に変更。2扉車2両~4両とされた車両計画も4扉車6両編成に変更され、大半の列車でSR中央線との直通も行うこととされた。<br>
この輸送力を保持するため、東背岡駅の貨物中線を1線から2線に増強することとした。また着工済みのはらやま駅・背岡駅はホームの延長がなされたほか、当初無人駅とする予定だった各駅の有人化もこの段階で決定された。<br>
この輸送力を保持するため、東背岡駅の貨物中線を1線から2線に増強することとした。特急列車の高速運転を行う中では、他列車との速度差が問題となる。普通列車との待避は小松台駅で行い、東背岡駅では貨物列車との待避を担うという構想であった。そのほか前後に単線が挟まる線形であったことから、上下列車ともに線内での時分調整が求められ、貨物列車の本数も多くなると予想されたための線増であった。<br>
旅客面では着工済みのはらやま駅・背岡駅はホームの延長がなされたほか、当初無人駅とする予定だった各駅の有人化もこの段階で決定された。<br>
計画本数も大幅に増便となり、当初普通列車上下毎時4本程度とされていたが、第三次計画では上下毎時12本となった。このため背岡駅では、吹きさらしであったホームに壁を設置するなど、旅客への配慮を一段と行うこととなった。なおはらやま駅に関しては、駅舎を含めた改築計画もあったことから、抜本的な改良は見送られている。<br>
計画本数も大幅に増便となり、当初普通列車上下毎時4本程度とされていたが、第三次計画では上下毎時12本となった。このため背岡駅では、吹きさらしであったホームに壁を設置するなど、旅客への配慮を一段と行うこととなった。なおはらやま駅に関しては、駅舎を含めた改築計画もあったことから、抜本的な改良は見送られている。<br>
一方で特急列車160km/h運行自体は諦めず、防音壁やホームドアを設置するなどの各種対処を検討することになった。
一方で特急列車160km/h運行自体は諦めず、防音壁やホームドアを設置するなどの各種対処を検討することになった。
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====自社車両====
====自社車両====
;[[国鉄103系電車|103系]]
;[[国鉄103系電車|103系]]
:開業時にJMR[[中央線 (JMR)|中央線]]より6両編成6本が転入し、朱色1号塗装のまま運用を開始した。その後半数が白地に朱色1号と黄色5号の帯を巻いた塗装に変更された。運用区間はSR線[[瀬田駅]]からJMR線[[泣川駅]]までで、JMR直通は103系の専用運用となっている。
:開業時にJMR[[中央線 (JMR)|中央線]]より6両編成6本が転入し、朱色1号塗装のまま運用を開始した。その後半数が白地に朱色1号と黄色5号の帯を巻いた塗装に変更された。6両編成のうち2本は3両編成を2本繋げた6両であり、時折新旧混色編成を見ることもできる。運用区間はSR線[[瀬田駅]]からJMR線[[泣川駅]]までで、JMR直通は103系の専用運用となっている。


====SR====
====SR====