「国鉄103系電車」の版間の差分

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| 画像説明 = 鳥丘急行線で運用されている103系
| 画像説明 = 鳥丘急行線で運用されている103系
| 運用者  = 日本国有鉄道<br>[[箱日本旅客鉄道]]<br>[[鳥丘急行]]
| 運用者  = 日本国有鉄道<br>[[箱日本旅客鉄道]]<br>[[鳥丘急行]]
| 製造所  = [[水音車両]]
| 製造所  = [[水音車両]]<br>宝条工廠
| 製造年  = 1964年 - 1984年(量産車)
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'''国鉄103系電車'''(こくてつ103けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流通勤形電車。<br>
特に断りがない限り、本稿では箱日本内での運用について説明する。
==各社の概況==
===JMR箱日本===
JMR箱日本には大量の103系が継承された。民営化時点で[[坂桐線]]、[[中坂環状線]]、[[桐立線]]といった主要電車線はほとんど103系で運用されていた。<br>
各線区の状況は以下の通り。<br>
*中坂環状線:205系投入により撤退済み。
*坂桐線:205系投入により撤退済み。
*桐立線:一部撤退も、半数近くが現用。桐立支線は全運用が103系。
*西南線:10両化と地下鉄直通開始により全車撤退。
*中央線:民営化時のまま運用中。
*南海道本線:坂桐線からの撤退により運用消滅。
*静河地区:静河近郊区間で運用中。
*香海本線:付近の都市化で運用拡大。
===NR===
NRにもかなりの両数の103系が流入したはずであるが、行方は分かっていない。ただし[[京桐線]]に関しては記録があり、231系電車の投入により撤退している。
===鳥丘急行===
開業時にJMRより6両編成6本を借り受け、[[鳥丘急行鳥丘北線|鳥丘北線]]で運用中である。ただし、鳥丘北線はSRへの編入計画があり、その暁にはS235系をはじめとした新型車両で置き換えられる予定である。
==各線区ごとの歴史==
===京桐線・坂桐線・南海道線===
小船電車区に配置され、7両編成で運用開始。塗色はスカイブルー。[[京桐線]]と[[坂桐線]]を中心に運用されたが、一部快速運用として南海道線線路も走行した。後に8両編成に増結された。<br>
201系の投入と、続く205系の投入により、段階的に103系が桐立線に転出した。<br>
京桐線は231系の投入により撤退。<br>
坂桐線は205系の運用拡大により撤退した。このため南海道線での運転も終了した。<br>
撤退した車両は6両に減車されて[[西南線]]に転出したほか、静河地区にも転出した。なお西南線には京桐線直通運用があったため、西南線からの撤退までは京桐線上を103系が走行し続けることになった。


===桐立線===
[[桐立線]]では南小島電車区に配置され、6両編成で運用開始。車体塗色はカナリアイエロー(黄5号)となった。段階的な路線延伸には、坂桐線筋での新性能車投入による玉突きで運用を拡大した。両数も輸送量の増大で7両を経て8両編成に増結された。<br>
205系の投入により半数が撤退。一部は桐立支線の101系を置き換えたものの、ほとんどは廃車となった。


'''国鉄103系電車'''(こくてつ103けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流通勤形電車。<br>
===西南線===
特に断りがない限り、本稿では箱日本内での運用について説明する。
[[西南線]]では開業時に6両編成で運用開始。坂桐線から転出した車両で賄われ、南小島電車区に配置。車体塗色はオレンジバーミリオン(朱色1号)となった。<br>
[[京桐線]]への乗り入れもあり、[[西京駅]] - [[西海津駅]] - [[東神駅]]間で運用された。<br>
[[西京メトロ三重橋線]]および京桐緩行線との直通開始で、地下鉄運行に対応できない103系は207系900番台に置き換えられた。103系はJMR中央線に転出の後、鳥丘急行に貸し出しとなった。