「鳥丘急行鳥丘北線」の版間の差分

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ところが、背岡駅完成後に、背岡駅南の[[比丘尼橋駅]]に[[比丘尼ヒカリエ]]が爆誕。沿線の都市規模が爆上がりしたことにより、二次計画では普通列車の輸送力に難があると思われた。さらに小松台駅が建設中の[[瀬田電気鉄道湾岸線]]との乗換駅に設定されることとなり、いよいよもって沿線の都市化が約束されてしまった。<br>
ところが、背岡駅完成後に、背岡駅南の[[比丘尼橋駅]]に[[比丘尼ヒカリエ]]が爆誕。沿線の都市規模が爆上がりしたことにより、二次計画では普通列車の輸送力に難があると思われた。さらに小松台駅が建設中の[[瀬田電気鉄道湾岸線]]との乗換駅に設定されることとなり、いよいよもって沿線の都市化が約束されてしまった。<br>
そのため全線を複線主体とする計画に変更。2扉車2両~4両とされた車両計画も4扉車6両編成に変更され、大半の列車でSR中央線との直通も行うこととされた。<br>
そのため全線を複線主体とする計画に変更。2扉車2両~4両とされた車両計画も4扉車6両編成に変更され、大半の列車でSR中央線との直通も行うこととされた。<br>
この輸送力を保持するため、東背岡駅の貨物中線を1線から2線に増強することとした。また着工済みのはらやま駅・背岡駅はホームの延長がなされたほか、当初無人駅とする予定だった各駅の有人化もこの段階で決定された。<br>
この輸送力を保持するため、東背岡駅の貨物中線を1線から2線に増強することとした。特急列車の高速運転を行う中では、他列車との速度差が問題となる。普通列車との待避は小松台駅で行い、東背岡駅では貨物列車との待避を担うという構想であった。そのほか前後に単線が挟まる線形であったことから、上下列車ともに線内での時分調整が求められ、貨物列車の本数も多くなると予想されたための線増であった。<br>
旅客面では着工済みのはらやま駅・背岡駅はホームの延長がなされたほか、当初無人駅とする予定だった各駅の有人化もこの段階で決定された。<br>
計画本数も大幅に増便となり、当初普通列車上下毎時4本程度とされていたが、第三次計画では上下毎時12本となった。このため背岡駅では、吹きさらしであったホームに壁を設置するなど、旅客への配慮を一段と行うこととなった。なおはらやま駅に関しては、駅舎を含めた改築計画もあったことから、抜本的な改良は見送られている。<br>
計画本数も大幅に増便となり、当初普通列車上下毎時4本程度とされていたが、第三次計画では上下毎時12本となった。このため背岡駅では、吹きさらしであったホームに壁を設置するなど、旅客への配慮を一段と行うこととなった。なおはらやま駅に関しては、駅舎を含めた改築計画もあったことから、抜本的な改良は見送られている。<br>
一方で特急列車160km/h運行自体は諦めず、防音壁やホームドアを設置するなどの各種対処を検討することになった。
一方で特急列車160km/h運行自体は諦めず、防音壁やホームドアを設置するなどの各種対処を検討することになった。