「七島県」の版間の差分

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智美国、鹿中国と伊戸国の一部(島嶼部)に相当する県である。県名である七島は戦国時代から城下町として栄える七島(現[[桐立市]])から。この地は、[[奈美内海]]を挟んだ対岸六国地方、[[咲島]]、砥島、豆島ほか2島および[[関南地方]]を望む土地であることから「七つの島(陸)を望む地、七島」となったとする説が有力であるが、単に「たくさんの島を望む地」という説など諸説あり、その由来は定かではない。<br>
智美国、鹿中国と伊戸国の一部(島嶼部)に相当する県である。県名である七島は戦国時代から城下町として栄える七島(現[[桐立市]])から。この地は、[[奈美内海]]を挟んだ対岸六国地方、[[咲島]]、砥島、豆島ほか2島および[[関南地方]]を望む土地であることから「七つの島(陸)を望む地、七島」となったとする説が有力であるが、単に「たくさんの島を望む地」という説など諸説あり、その由来は定かではない。<br>
七島県は二つの海の間に細長く領域を持っているが、白峰山地の東西で大きく地形や気候が異なる。
七島県は二つの海の間に細長く領域を持っているが、白峰山地の東西で大きく地形や気候が異なる。
方言として[[七島語]]が存在する。
== 地理・地域 ==
== 地理・地域 ==
旧律令国においては、現在の七島県の領域は西側部分が智美国、東側の部分が鹿中国(大宝律令前では奈鹿国にあたる)に含まれており、咲島や砥島、豆島などの島々が伊戸国(現在の香海県など)に含まれていた。智美国と鹿中国は比較的狭い領域であることから、2国を引き継いだ県とはいえその面積は大きくない。<br>
旧律令国においては、現在の七島県の領域は西側部分が智美国、東側の部分が鹿中国(大宝律令前では奈鹿国にあたる)に含まれており、咲島や砥島、豆島などの島々が伊戸国(現在の香海県など)に含まれていた。智美国と鹿中国は比較的狭い領域であることから、2国を引き継いだ県とはいえその面積は大きくない。<br>