倉急20000系電車
倉急20000系電車(くらきゅう20000けいでんしゃ)は、倉急電鉄開発記Season2part7にて、倉太急行電鉄(倉急)が運用を開始した特急用車両である。
倉急20000系 | |
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基本情報 | |
運用者 | 倉太急行電鉄 |
製造所 | 水音車両 倉太急行電鉄 |
製造年 | 1990年代 |
製造数 | 30両 |
運用開始 | 1990年代 |
消滅 | チャンクロード入れ忘れて何両か |
投入先 | 倉急烏倉線など |
主要諸元 | |
編成 | 6両編成 |
軌間 | 1,067mm |
電気方式 | 直流1500V |
最高運転速度 | 110km/h |
設計最高速度 | 125km/h |
起動加速度 | 3.3 km/h/s |
減速度(常用) | 3.5 km/h/s |
減速度(非常) | 普通だがRTMなのでそこは普通ではない |
編成定員 | 326人(6両編成) |
自重 | しろ |
全長 | 20,000mm |
車体長 | 19,500mm(中間車) |
車体幅 | 2,800mm |
全高 | 4,150mm |
車体 | アルミッティスモゲロンボョ(?) |
台車 | FS543 |
制御装置 | GTO-可変電圧可変周波数制御 |
制動装置 | 回生ブレーキ併用電気指令式電磁直通ブレーキ |
保安装置 | 関南ATS |
瀬田電気鉄道・倉急・砥田開発鉄道・常総急行の4社長苦痛運転開始に伴う、特急アクアス運行開始に合わせて登場した特急車両で、関南地方私鉄初の有料特別急行列車用として、観光輸送、ビジネス利用両方に対応できるよう設計された。また直後に控えた西京メトロ五段下線直通に備え、ホームドアへの対応もなされたうえでの登場となった。
登場の経緯
倉急ではもともと倉急咲島線において特急列車を走らせていたが、これは一般列車の最速達種別という位置づけであり、特別料金不要のものであった。このためその運用には通勤車両も充当されるなど、通勤電車としてのイメージが定着しつつあった。
一方で最速達列車としての接客サービス向上は行われており、倉急5000系や倉急6000系といった急行用車両も投入された。これらは他私鉄での特別車に相当する設備を整えていたが、特別料金の収受は行われなかった。またこれらの急行用車両はあくまで、サービス水準が急行用にふさわしいというだけであり、通勤時間帯には閑散線区の各駅停車運用をこなすなど柔軟な運用が行われており、当然装備もローカル運用にも対応できるものとなっていた。このため車両設計においても、快適性よりも乗降時間短縮などに重きが置かれることが多かった。
このような中にあった倉急ではあるが、時代とともに咲島や佐々江といった観光需要が伸びつつあった。また関南私鉄東西直通による長距離運転も控えていた。そこで倉急は、将来的には先述の急行用車両を発展させ、特急専用車両による特急列車を設定することを目標として掲げた。
このような中にあって倉急ではSeason2Part5において倉急5000系を用いた特別快速列車を設定し、特別料金の収受を開始した。これにより手ごたえを感じた倉急は、関南私鉄直通系統向けに本形式を設計した。東西直通より前に瀬田駅 - 箱重駅間に先行して特別料金有りの特急列車が設定されることになっていたが、これには瀬田電気鉄道が10000系(仮称)を投入することとしており、本形式は東西直通完成に合わせて投入することとされた。
このため検討段階から西京メトロ五段下線への乗り入れを考慮し、最低でも2両に1扉は20m4ドア車のホームドアに合わせることとされた。また地下鉄乗り入れのため前面に非常貫通路を設けることとされ、また5社直通運転に伴い多数行われる乗務員交代の時間を短縮することを考慮し、前面展望席は採用されないこととされた。
さらに倉急では、本形式を将来的に他線区でも運用することを検討しており、短編成でも接客設備を十分に確保することや、増解結を念頭に置いた設計が為されることとなった。なおこの時点における仮の形式名は倉急12000系とされていた。
こうして様々な検討が進められていた本形式であるが、瀬田電気鉄道がおてつき1回休みとなってしまったので、瀬田駅 - 箱重駅間に設定される特急列車に充当する車両が用意できない事態となった。このため本形式は、関南私鉄東西直通に先んじて投入されることとなった。