「新瀬田市営地下鉄」の版間の差分
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1971年に瀬田市(当初)が設置した諮問機関である交通対策協議会がその年の9月に出した答申が、鳥丘県北部における地下鉄建設計画の始まりである。しかし1979年に[[新瀬田市|瀬田市分割・行政特区新設案]]が市議会および県議会によって可決されたため、協議会は旧瀬田市か新瀬田市に移管されるかなどの協議で結論が出ないまま新瀬田市が発足した。しばらくは地下鉄建設計画そのものが凍結され、有効な議論は進められていなかったが、1981年に新瀬田市及び瀬田市の有志によって協議会が再発足することとなり、事業免許を取得するまで2年かかった。当初瀬田市街を東西に結ぶ'''1号線'''と南北に結ぶ'''2号線'''の計画が具申されていたものの、2号線は経費の問題から建設そのものが見送りになり、1号線は名称が瀬田線や鳩羽線等二転三転したのちに'''[[新瀬田市営地下鉄丹木線|丹木線]]'''に決定した。その後丹木線の工事は1983年に開始され、1986年に開業した。 | |||
その経緯から運営は瀬田市交通局と新瀬田市交通課が合同で行っており、どちらの自治体名を冠するかどうかで議論も沸き起こったものの、1号線のほぼ7割が新瀬田市を通ることから、新瀬田市の名を冠することとなった。それぞれの自治体が独自で運営している路線バス事業とは一線を画す運営主体である。 | |||
当時既に瀬田電鉄が開業していたほか、VGNおよびSRが地下路線の建設を進めており、地下鉄瀬田駅を建設するには、それよりも深い深度にトンネルを掘る必要があり、短路線ながら工事は難航した。また旧瀬田市内を通る路線のまま計画が進行したため、路線は2つの市をまたがるように敷設されることとなっている。 | 当時既に瀬田電鉄が開業していたほか、VGNおよびSRが地下路線の建設を進めており、地下鉄瀬田駅を建設するには、それよりも深い深度にトンネルを掘る必要があり、短路線ながら工事は難航した。また旧瀬田市内を通る路線のまま計画が進行したため、路線は2つの市をまたがるように敷設されることとなっている。 |
2024年12月2日 (月) 13:40時点における最新版
新瀬田市営地下鉄(しんせたしえいちかてつ)は、瀬田市交通局および新瀬田市交通課が運営する地下鉄。現在丹木線の一路線が開業しており、南区を除く新瀬田市と瀬田市谷海町を通っている。条例上は瀬田市新高速鉄道と呼ばれている。
路線
色 | 記号 | 路線名 | 区間 |
---|---|---|---|
T | 丹木線 | 鳩羽町駅 (T01) - 日暮駅 (T07) | |
2号線(仮) | 谷海空港駅 - 横川駅 |
歴史
1971年に瀬田市(当初)が設置した諮問機関である交通対策協議会がその年の9月に出した答申が、鳥丘県北部における地下鉄建設計画の始まりである。しかし1979年に瀬田市分割・行政特区新設案が市議会および県議会によって可決されたため、協議会は旧瀬田市か新瀬田市に移管されるかなどの協議で結論が出ないまま新瀬田市が発足した。しばらくは地下鉄建設計画そのものが凍結され、有効な議論は進められていなかったが、1981年に新瀬田市及び瀬田市の有志によって協議会が再発足することとなり、事業免許を取得するまで2年かかった。当初瀬田市街を東西に結ぶ1号線と南北に結ぶ2号線の計画が具申されていたものの、2号線は経費の問題から建設そのものが見送りになり、1号線は名称が瀬田線や鳩羽線等二転三転したのちに丹木線に決定した。その後丹木線の工事は1983年に開始され、1986年に開業した。 その経緯から運営は瀬田市交通局と新瀬田市交通課が合同で行っており、どちらの自治体名を冠するかどうかで議論も沸き起こったものの、1号線のほぼ7割が新瀬田市を通ることから、新瀬田市の名を冠することとなった。それぞれの自治体が独自で運営している路線バス事業とは一線を画す運営主体である。
当時既に瀬田電鉄が開業していたほか、VGNおよびSRが地下路線の建設を進めており、地下鉄瀬田駅を建設するには、それよりも深い深度にトンネルを掘る必要があり、短路線ながら工事は難航した。また旧瀬田市内を通る路線のまま計画が進行したため、路線は2つの市をまたがるように敷設されることとなっている。
2号線計画は後年再度具申されることとなり、放置プレイされていた陸海線を買取、谷海空港〜横川間で路線を建設することが正式に決定した。
運賃
不明である。法外ではない。
車両
現有車両
・01形