「瀬田1000系電車」の版間の差分

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==概要==
[[瀬田電気鉄道]]初の自社車両。製造は瀬田電鉄グループ配下の[[瀬田車両製造株式会社|瀬田車両]]が担当。
本列車は瀬田電気鉄道への社名変更と同時に1988年5月10日、本線へ導入された。
車両の剛体はJR東日本209系から流用し、コストの削減と早期量産に成功することとなったが、同時に後述のような問題点も引きおこした。
当時はまだ若部駅付近までしか開業していなかったため、数編成が導入されたに留まった。
'''[[瀬田電車両火災事故]]'''により、本列車の機器に重大な不具合があることが判明し、2000年までに全10編成が廃車・危機の全取り換えの上での譲渡処分となった。
ちなみに東森町付近を走る第三セクター鉄道の横崎鉄道に2編成が譲渡され、改造・床下機器の取り換えの上'''横崎鉄道1000系'''として運用されている。
==問題点==
M車およびMc車の床下機器の構造に問題があり、場合によっては'''機器から発火する'''という重大な欠陥を抱えていた。
これは製造元の瀬田車両の製造管理能力の欠如が原因であるとし、瀬田電鉄側は路線や保安設備が原因であることを否定した。
1989年2月7日、瀬田駅〜當辺駅間を走行中だった1005Fの中間M車から突然発火・炎上し、計250人が死傷するという事故が発生した('''[[瀬田電車両火災事故]]''')。これの事故調査により、原因が製造元だと断定され瀬田電鉄は1000系電車を全廃車処分とする決定をした。

2019年3月28日 (木) 01:22時点における最新版

瀬田電気鉄道1000系電車(せたでんきてつどう1000けいでんしゃ)は、1988年5月10日に営業運転を開始した瀬田電気鉄道の通勤形電車である。

瀬田1000系電車
瀬田1000系
基本情報
運用者 瀬田電鉄
製造所 瀬田車両
製造年 1988年
運用開始 1988年5月10日
投入先 瀬田本線
主要諸元
編成 基本4両、付属2両
MT比2:3)
軌間 1,067 mm
電気方式 直流 1,500 V交流 20,000 V (50 Hz)
架空電車線方式
最高運転速度 115 km/h
設計最高速度 115 km/h
起動加速度 3.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 基本編成 - 1,412名
付属編成 - 760名
編成重量 341.6 t(基本編成 - 4M6T)
163.2 t(付属編成 - 2M3T)
最大寸法
(長・幅・高)
20,000 × 2,950 × 3,640 mm
(普通車)
車体 ステンレス
台車 DT71・TR255・TR255A・TR255B・TR255C
主電動機 かご形三相誘導電動機 MT75 × 4基/両
主電動機出力 140 kW (1時間定格)
駆動方式 TD平行カルダン駆動方式
歯車比 6.06 (16:97)
編成出力 2,240 kW(基本編成 - 4M6T)
1,120 kW(付属編成 - 2M3T)
制御方式 VVVFインバータ制御
IGBT素子
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキ
全電気ブレーキ
抑速ブレーキ
保安装置 ATS-SNATS-P
ATS-Ps(一部)
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概要

瀬田電気鉄道初の自社車両。製造は瀬田電鉄グループ配下の瀬田車両が担当。 本列車は瀬田電気鉄道への社名変更と同時に1988年5月10日、本線へ導入された。 車両の剛体はJR東日本209系から流用し、コストの削減と早期量産に成功することとなったが、同時に後述のような問題点も引きおこした。 当時はまだ若部駅付近までしか開業していなかったため、数編成が導入されたに留まった。

瀬田電車両火災事故により、本列車の機器に重大な不具合があることが判明し、2000年までに全10編成が廃車・危機の全取り換えの上での譲渡処分となった。 ちなみに東森町付近を走る第三セクター鉄道の横崎鉄道に2編成が譲渡され、改造・床下機器の取り換えの上横崎鉄道1000系として運用されている。

問題点

M車およびMc車の床下機器の構造に問題があり、場合によっては機器から発火するという重大な欠陥を抱えていた。 これは製造元の瀬田車両の製造管理能力の欠如が原因であるとし、瀬田電鉄側は路線や保安設備が原因であることを否定した。 1989年2月7日、瀬田駅〜當辺駅間を走行中だった1005Fの中間M車から突然発火・炎上し、計250人が死傷するという事故が発生した(瀬田電車両火災事故)。これの事故調査により、原因が製造元だと断定され瀬田電鉄は1000系電車を全廃車処分とする決定をした。