「雪々急行鉄道」の版間の差分
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* 06系広報部特務車(灯星 -Akari- / 光蕾 -Tsubomi-) | * 06系広報部特務車(灯星 -Akari- / 光蕾 -Tsubomi- / 灯星Ⅱ -Akari Two-) | ||
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* 三電200形電車 | * 三電200形電車 | ||
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* 三電500形優等電車 | * 三電500形優等電車 | ||
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* 三電5形蒸気機関車(国鉄5500形蒸気機関車と同型) | * 三電5形蒸気機関車(国鉄5500形蒸気機関車と同型) | ||
2024年3月24日 (日) 02:28時点における版
雪々急行鉄道株式会社(ゆきゆききゅうこう,Yukiyuki Express Railway Co.,Ltd.)は、箱日本塗帆地方蒼風県に本社を置く、(自称)大手鉄道会社である。
雪急ホールディングスの中核を担う企業で、鉄道事業・不動産業等を行っている。略称は「雪急(Yukikyu)」。
種類 | 会社 |
---|---|
略称 | 雪急 |
本社所在地 |
箱日本 114-514 蒼風県蒼風市新港区1丁目12番1号 |
設立 | 1980年5月1日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 |
鉄道事業 不動産事業 流通事業 他 |
代表者 | 真冬 雪々 |
資本金 | 豚さん貯金箱から出てきた小銭 |
売上高 | 割といっぱい |
純利益 | いっぱい |
純資産 | いっぱい |
従業員数 | いっぱい |
決算期 | 桜が咲いたら適当に |
会計監査人 | 海景 勘佐人 |
主要株主 | 蒼冬重工業 三城電機工業 |
外部リンク | https://yukikyuofficial.wordpress.com |
概要
雪々急行鉄道は、1980年に三城電気軌道の郊外電車線部門が独立し、三城市から蒼風県臨港部までの貨物輸送、
及び旅客通勤輸送を目的として、既存路線の改良・一部区間新規建設の上、民間の出資により設立された、新興都市間鉄道会社である。
主路線のある塗帆地方の他、他の地方にも2路線ほど雪急系列路線があり、それぞれ真冬支社、真白支社が置かれている。
系列企業には雪急車輌製造があり、雪々急行鉄道の使用車両・設備の製造の他、定期検査などの車両検修を業務委託している他、
雪急車輌製造で製造された車両・設備の試験・情報収集などで密接な協力関係を取っている。
歴史
雪々急行鉄道の前身「三城電気軌道」
雪々急行鉄道は三城市の半公営鉄道、三城電気軌道の郊外電車線部門を前身とする。
雪急発祥の地である三城市は、かつて三城国20万石の中心地であり、木工芸品や竹細工、和菓子製造や屋根瓦などの陶業などが名産の歴史ある城下町であった。しかし、明治の廃藩置県以降、海外輸出をするような有力な産業を持たなかった三城市は衰退の一途をたどっており、旧三城国の領主家であった三城家を中心とした地元の有力者は、木工業で培った技術を生かして産業機械の生産を始め、積極的に全国から企業の工場を誘致して、次第に三城市は内陸の一大工業都市へと発展していった。
そして、その発展を大いに助けたのは、「三城御水道(みつしろおみずみち)」とも呼ばれた、霧ノ湖を源とする湯霧川、及び湯霧川から引き込んだ運河で行っていた水運輸送である。室町時代から続く湯霧川の水運は、豊富な水量と深さで流れも比較的穏やかなことから、三城国の物流を支える重要な輸送手段であり、工業化の進む三城市で製品の原材料の輸入、完成品の出荷は主に水運によって行われた。また、この湯霧川や湯霧川を水源とする水路・運河を利用し、大正時代初期より水力発電事業が行われており、当時の三城県と地元の有力者や実業家らの合同で設立された「三城水力電気」が、市内の水路を活用した小規模なものから、湯霧川本流に堰を作って建設した中規模なものまで、水力発電所を多数建設。工場や街路の電灯、住宅などへ電気を供給したほか、1920年(大正9年)には市街地部に路面電車の「三城電気軌道 市内線」が開通。同じころ、現在も三城市を代表する大手電気機器メーカーである「三城電機工業」も創業し、欧米諸国から技術者を雇い、当時はまだ輸入が中心だった電気製品の国内製造を開始した。
昭和の初めには軍需需要も追い風となって工業製品の生産量が増加の一途を辿り、輸出入の効率化のために比較的大型の船が付けられる中流の深雪ヶ原周辺までの陸上輸送機関を求める声が増加。三城~野菜間島間の「間島馬車鉄道」と、白波県の小河原~奥御手柄間の「御手柄森林鉄道」の延伸・合併により誕生した「間島御手柄鉄道(ましま みてがらてつどう、後のJMR三城線)」の事業成功も追い風となり、当時の三城市と地元の資産・実業家などの出資によって普通鉄道路線が敷設される事となった。またこのルートは旧来からの主要街道である三城街道のルートと重なっており、三城電気軌道市内線の電気設備を一部流用・新設して、全線電化・貨客両用の近代的な電車線として建設が開始された。1930年代前半の世界恐慌などの影響で工事は難航したが、1935年(昭和10年)5月、三城大手道駅(現三城市駅)のから深雪ヶ原駅(現在の暮色町駅に近い、湯霧川西岸の旧駅。現在の深雪ヶ原駅所在地とは大きく異なる)間で「三城電気軌道 郊外電車線」が開業。沿線住民からは「三城電車(みつしろでんしゃ)」や「三電(さんでん)」の愛称で親しまれた。この路線は途中、牧場原駅、御剱参道駅(現在の御剱森駅)の2駅が設けられた他、駅間で住民から多く要望を受けた箇所に「乗降場」という簡易ホームの設置を認め、ホームからの挙手や乗客の申し出で電車が停車し、乗降客がいない際は通過していた。
三城電気軌道郊外電車線(以下、三電郊外線と表記)の電力源は三城電気軌道市内線と同じく、湯霧川の堰に設けられた水力発電所により賄われていたが、電源容量には限りがあったため大型の電気機関車が導入できず、貨物列車には明治期に英国から輸入した中古の蒸気機関車が使われていた。貨物中心の路線であったこともあり、開業当初のダイヤは、朝夕の通勤通学時間帯のみ4両編成が15分に1本(うち1時間に1本が正式駅にしか停車しない急行)で、その他時間帯は2両編成が1時間に2本前後の運行だった。この少ない本数を補うべく、SL牽引の貨物列車へ簡易的にデッキ付きの2軸客車を連結して、駅通過時は減速して飛び乗り・飛び降りで乗降する簡易貨客列車も運行していたが、客車が旧式で乗り心地が極めて悪い上、走行中の乗降行為はそこそこ危険だっため、1940年代には新製のボギー客車で駅にきちんと停車する、旅客専用SL列車を運行するようになった。
また、当時の逸話として、
「乗り遅れた時に乗降場から列車へ手を振ったら、わざわざバックして戻ってきてくれた」
「台風で変電所が被災し電車が動かせなくなった時、給電されていない電車に貨物用の蒸気機関車を連結し、機関車牽引で応急的に運行を再開した」
「運転士が運転中に腹痛になり、列車を止めて沿線の住宅でお手洗いを借り、帰ってきたら猛スピードで走行し遅れを取り戻した」
「電源が貧弱で、多客時はときたま電車が坂道で立ち往生しており、粘着力の必要ない付随車の乗客の一部が線路に降りて後ろから電車を押し登坂した」
「電車内で妊婦が産気づき、乗り合わせた乗客も了承の上途中駅を全部通過し、大規模な病院のある三城市までノンストップで臨時運行した」
などのエピソードが社史に記録されており、当時のおおらかさをうかがわせる内容となっている。
三蒼新線計画の浮上
そんな三電郊外線に転機が訪れたのは1960年代後半、高度経済成長期真っ只中の三城市は急速な発展を迎えており、SLで貨物を輸送し、それを川船に乗せ換えて輸送するという現在の方式では製品材料・完成品の輸送が追い付かなくなっていた。
加えて、湯霧川の上流地域の森林伐採もあって川の水量が減少し、追い打ちをかけるように、1973年に塗帆地方を襲った大型台風(昭和48年塗帆台風)の影響で川底に土砂が堆積して水深が浅くなり、堤防の決壊による浸水被害で、深雪ヶ原地域西岸の旧市街・船着き場周辺が大きな被害を受けた。結果、三城市の企業達は次第にトラックによる陸送に切り替えたが、騒音や排ガス公害、交通事故の増加や、三城市街部を中心とする慢性的な道路渋滞などに悩まされることとなった。
そこで、三電郊外線を改良・延伸し、当時塗帆地方最大の港であった、蒼風県の南蒼風港までの都市間路線を建設する計画が浮上した。そのルートは、従来の三電郊外線の三城市から深雪ヶ原への既設区間を活用して、湯霧川に鉄橋を架橋して東へ進み、炉里市付近から少し南下、雪ノ関市の白狐橋まで新規敷設。その先は当時の箱日本国鉄の白狐橋貨物線(開業当初は旅客線だったが、需要低迷で貨物線化)を買収してさらに東へ進み、南蒼風港すぐ近くの終点・国鉄南蒼風駅に至る、既存路線をできるだけ活用しつつ、人口の多い地域に新駅を作って交通利便性の向上と需要の獲得を目指した路線計画であった。
しかし、いくら三城市に利する路線と言っても、莫大な額の建設費を要する都市間鉄道計画を三城市や三城県の税金で建設する事へ反対する声も大きく、様々な検討の末この三蒼新線は半公営の三城電気軌道の新線ではなく、民間企業からの出資によって新たな私鉄会社を立ち上げる運びとなった。当初は必要金額が大きいことも有りなかなか大規模な支援者が現れなかったが、当時蒼風市で港湾貿易を営んでいた実業家の真冬雪々がこの新規鉄道事業へ強い興味を示した。真冬自身に鉄道趣味があっただけでなく、鉄道を軸に周辺都市を育て、複合的に利益を生み出す鉄道事業への期待を持ち、真冬の実家である「蒼冬財閥」へも働きかけた。この際、出資の提案だけではなく、蒼冬財閥が擁する塗帆地方の大手重工業メーカー「蒼冬重工」や、戦前から続く造船大手の「墨烏賊造船」と、三城電気軌道と関係の深い電気機器・電化製品メーカーの「三城電機工業」や、主に路面電車を製造していた三城電気軌道の鉄道車両製造部門である「三電車輌製造」を引き合わせ、対外向けに鉄道車輌や設備製造を行う「雪急車輌製造」を設立するプランを提案。鉄道建設に始まる多角的な事業と鉄道車両、設備機器の製造業、二つの事業を軸に生み出される収益と経営上の安定性を訴え、無事に蒼冬財閥の全面協力を取り付けたほか、蒼風県を中心に展開する塗帆地方最大規模の地方銀行、蒼風國際銀行からも、多額の新線建設費用の融資を受けることに成功した。
こうして、民間資本による新たな都市間鉄道会社、「雪々急行鉄道」設立に向けた計画が動き始めた。
開業、そして苦難……
5年間にわたる大工事の末、1980年5月1日、ついに雪々急行鉄道本線が南蒼風~三城市間で開業した。軌間は1060mmで全線複線、直流電化1500Vの都市間旅客・貨物両用鉄道である。
しかし、開業後しばらくは好調だった客足も、開業後1年が経つ頃には想定の7割を割る程にまで低迷していた。1980年代は自動車輸送が急激に発達するモータリゼーションの真っ只中であり、雪急開業に先立つ1979年に開通した三蒼高速自動車道(三蒼道)なども影響し、増加する高速路線バスや自家用車に通勤・通学需要を大幅に奪われていた。雪急は三城電気軌道時代の名残で、三城市を出て一旦湯霧川沿いを南下してから、90度向きを変え東の蒼風方面へ向かう線形だったのに対し、三蒼道は比較的直線的に三城市から蒼風市北部の羽白市方面を目指しており、三蒼道に先だって建設が進んでいた蒼風湾岸都市高速道(都市高 蒼風湾岸線)に直結することで、蒼風新市街へのアクセスも容易であった。
また1970年代には、戦前からの港である南蒼風港のキャパシティーが限界を迎えており、1978年には南蒼風の北側へ新蒼風港が建設され、それに伴った再開発事業によって大規模な人口移動が発生。同年末の蒼風県庁の移転に見られるように、蒼風県の中心的な市街地は南蒼風港を有する蒼南市から、いくつかの町の合併で新たに誕生した蒼風市の港湾部へ移転してしまっていた。よって、主要な乗客になると想定されていた通勤・通学客は思うよう獲得できず、旅客部門は営業成績の良かった貨物部門と系列企業の雪急車輌製造の利益を食いつぶすように、苦い赤字経営を余儀なくされた。
加えて雪急は、一応「急行鉄道」を名乗ってはいたものの、実際は速達性にあまり優れていなかった。当初より全線複線の計画であり、退避駅を少なく設計したため、通勤再速達種別の「急行」はもとより、着席保証で特別料金を徴収していた「特別急行」でさえ、緩行列車の退避・追い抜きが思うように行えず、所要時間の短縮は微々たるものであった。
そして、旅客部門の経営悪化に拍車をかけたのが、当時の経営陣に根付いていた「貨物重視・旅客軽視」の思想であった。元々の建設理由が三城市から南蒼風港までの貨物輸送であり、実際に貨物輸送部門の収益は良好であったが、これは建設に掛けた莫大な資金を回収して、地域からの信頼を得つつ継続的に融資を受けて行く為には、旅客輸送が必要不可欠であるという認識に欠けるものであった。その体制の悪い例とも言われるのが当時運行されていた「特別急行」の列車であり、開業時に新製された一般通勤型の8000系電車の設計を流用した、2扉ボックスシート版8000系とも言える雪急18000系電車で運行されたこの特急電車は、遅い・高い・値段の割に快適でない……と三拍子揃った不人気列車であり、朝夕の通勤時間帯でもほとんど乗客がおらず、文字通りの空気輸送となっていた。
雪急、起死回生の「ハチゴ―計画」
雪急の開業から3年が経つ頃には、客離れとモータリゼーションの進行で旅客部門の経営収支はますます悪くなっていた。この状況に危機感を覚えたメインバンクの蒼風國際銀行は、建設資金として貸し付けた融資の回収を焦り始め、追加の融資には難色を示しだした。「このままの経営状態が続けば、10年以内に経営破綻する」という厳しい試算も出され、経営陣や株主等も紛糾する混乱の中、主な出資者の一人でもあり、雪急設立の立役者でもある真冬雪々が事態打開へ動きだした。真冬は自身の持つ港湾貿易会社の経営権を売却して、雪急の当面の事業改善資金を確保。そして自ら雪急の社長へ就任し、経営改善に向けて新たな事業計画を打ちだした。
それは、事業全般の抜本的な見直しと、リスク覚悟の大規模追加投資を行い、1985年から1990年にかけて短期決戦で経営を健全な状態へ回復させる、「ハチゴー計画」と呼ばれる起死回生の経営改革案であった。
まず一つ目は、路線の始点の変更。当時の雪急本線は炉里河合駅から再度南へカーブして白狐橋駅を目指していたが、これを炉里河合からまっすぐ東へ新線を建設し、現在も成長著しい蒼風市の中心部への乗り入れを目指した。これに伴い、雪急本線は蒼風中央~三城市間へと再編し、南蒼風~炉里河合は雪急蒼南線と命名した支線へ転換することにした。
二つ目は速達性の向上。蒼風中央~深雪ヶ原間を複々線とすることを目指し、先行工事区間の炉里河合~白竜薬師間を皮切りに、段階的にに土地買収を進めることで、速達列車を邪魔せず、本線上での追い抜きも可能な線路設備を目指した。また、電源設備の面も強化され、全般的に車両のMT比を向上。駅間での高加減速化を図ったほか、新たな保安システムの開発を進め、将来的に営業最高速度を上げる目標を示した。
三つ目は、旅客サービス改善・観光需要の掘り起こしである。観光振興の起爆剤として、新型の展望特急車両9000系DeluxeExpressをデビューさせ、かつて三電郊外線時代に500形優等電車で行っていた、湯霧登山鉄道への乗り入れ観光列車を再開。蒼風中央から有名温泉地・湯霧温泉郷の玄関口、湯霧湯本駅へ向かう、豪華な観光特急のイメージを打ち出した。なお、乗客から不評であった特急型の18000系については通勤型へ格下げし、急行種別や通勤時間帯に新たに設定された快速急行の一部列車に割り当て、同形式での特別料金の徴収を廃止した。これは後に、近郊型座席電車やライナー電車導入へのきっかけとなった。その他、顧客尊重主義の雪急社訓三ヶ条を定め、社員の研修や他社への視察を増やし、旅客へのサービス向上に努めた。
苦難の新線建設期
ハチゴー計画は、雪急の将来の為に必要な改革であったものの、やはり莫大な額の投資を伴う計画だったため、増収により経営が安定する1990年頃にかけては非常に苦しい経営を迫られた。開業時に掛かった資金を回収できぬままでの更なる投資は、一歩間違えば債務超過待ったなしの大博打であり、銀行からもリスク過大と評価され、なかなか融資を受けられなかった。真冬は自ら自宅や自家用車などの所有資産を売り払い、私財をほぼすべて雪急へ寄贈するなど率先して改革に協力し、日々の経費節約を強いられている従業員へ理解を求めた。
資金難の中、一番の課題となったのは新線用地の買収費用であり、前社長の三城倉之助が怪しい土地買収仲介業者に頼んだために、用地取得には成功したものの当時三城市にあった本社ビルを半ば騙し取られるような事件も起き、新たな本社オフィスを借りる費用すらもったいなかったため、各地の格安貸しオフィスに部署を分散させて、真冬が知人から5万円で譲り受けた廃墟のような狭小ビルに社長室と本社住所が置かれていた時期もあった。
この時期、車両の新規設計費を削りつつ、利用者に新型車が導入されたかのようなイメージを持たせるため、増備分の8000系2次車を前面デザインだけ変えて同じ設計のまま誤魔化していた事は、雪急ファンの間でことに有名である。
経営回復、未来へ……
1985年、「鉄路の豪華客船」というコンセプトの元設計された、新型観光特急 9000系DeluxeExpressがデビュー。DE車デビューに蒼風中央方面の新線建設は間に合わなかったが、南蒼風駅から湯霧湯本駅を結ぶ新特急「雪急ハイライナー」として運行を開始する。『いま、ハイライナーで。』のキャッチコピーで人気を得たテレビCMや、抽選で一般客を招待する試乗会などの広報の甲斐もあり、前面展望席や三電500形から受け継いだ伝統の『走る談話室』などが話題となり、以後好評を博した。
翌86年には蒼風中央~炉里河合間に待望の新市街直通線が完成。9000系DE車も若干数増備され、蒼風中央と南蒼風の2方面から湯霧温泉郷方面へのハイライナー号が運行された。
こうした改革が功を奏し、88年には旅客部門の黒字転換を達成。経営状況は盤石な物となっていった。1995年頃には資金的に余裕が生まれたため、完全新規設計で新性能電車1000系を製造。以降は車両製造の技術向上も兼ね、数年に一度新車が導入されている。
2017年には老朽化が進む9000系DE車の更新の為、新型ハイライナー「10000系WE」がデビューし、雪急の新時代の看板車両として注目を集めた。
2020年代には、塗帆地方を飛び出し、鉄道連絡船で他地方へ連絡する計画が進行。多くの苦難を乗りこえて走り続けた雪急の、さらなる発展が期待されている。
路線
塗帆本社
- 雪急本線
- 雪急蒼南線
- 雪急競馬場線(構想段階)
真冬支社
- 雪急真冬線
真白支社
- 雪急雪宮線(LRT路線)
車両
通勤型
特急型
- 18000系(登場時。後に通勤型へ格下げ)
- 9000系(DeluxeExpress)
- 10000系(WingExpress)
- 20000系(HealingExpress)/現在製造中
- 30000系(L'ilium(リリウム))/計画中
- 50000系(FlyerExpress)
- 82000系(KNIGHT/白桜)
機関車
- EH700形電気機関車(MultiFreightLiner)
- ED500形電気機関車
- DC10形ディーゼル機関車
- DD100型ディーゼル機関車
- ED10形電気機関車
特殊な車両
- 03系高機能検測車(Y-Tech)※所属は雪急車輌製造
- 06系高速度試験車(吹雪 -Fubuki-)※所属は雪急車輌製造
- 06系広報部特務車(灯星 -Akari- / 光蕾 -Tsubomi- / 灯星Ⅱ -Akari Two-)
既に通常運用から引退した型式
- 三電100形電車
- 三電200形電車
- 三電300形荷物電車
- 三電500形優等電車
- 三電10形客車
- 三電5形蒸気機関車(国鉄5500形蒸気機関車と同型)
雪々急行鉄道の主な施設
- 雪急総合指令室(蒼風中央・本社地下)
- 深雪ヶ原総合車両所(深雪ヶ原工場)
- 深雪ヶ原先進車両技研(ラボ)
- 深雪ヶ原第一車両基地(深雪ヶ原総合車両所併設)
- 深雪ヶ原第二車両基地(雪急本線 深雪ヶ原駅)
- 深雪ヶ原第三車両基地(宝条帝都鉄道対外派出車専用)
- 深雪ヶ原旧第一車両基地(現:動態保存車両収蔵庫)
- 蒼風中央車両基地(雪急本線 地下施設の為、蒼風中央駅地下ホームからのみ入場可能)
- 白狐橋車両基地(雪急蒼南線 白狐橋駅)
- 三城市車両基地(雪急本線 三城市駅 三城貨物ターミナル併設)
- 南蒼風車両基地(雪急蒼南線 南蒼風駅 蒼風貨物ターミナル併設)
雪々急行鉄道の主なサービス
- 交通系ICカード「ICY(アイシィ)」:雪急グループの交通系ICカード。名前は「氷(ICE)」と「IC」を掛け、雪急の頭文字「Y」を織り交ぜたネーミング。雪急グループの交通機関利用や商業施設で溜まるポイントがお得。キャッチコピーは「氷上を滑るような、軽やかさをあなたに。」
- 普通列車特別座席「Yシート」:一部普通列車に連結されている、有料特別座席車。JR東の普通グリーン車に近い。
- スマイル0円:雪急職員へ一定の敬意をもってご利用いただくお客様へ、心ばかりの営業スマイル。舐めてる迷惑客には渾身の右ストレートをプレゼント致します。
雪々急行鉄道の種別
- A特急(通常特急)
- B特急(廉価通勤特急)
- S特急(やや高価な特別特急)
- 快速急行
- 急行
- 準急
- 各駅停車
雪々急行鉄道の有料特急
雪急の特急ブランド「雪急ハイライナー」
1985年の雪急9000系DeluxeExpress(DE車)登場時に打ち出された、雪急の有料特急電車のブランド名。
「High」は「ハイスピード」「ハイグレード」「ハイコンフォート」の意味を持ち、高品質で特別感のある乗車体験を目指している。
三電郊外線の優等車500形で初めて設置され、当時から大人気を博したフリー解放の休憩スペース「走る談話室」は、以降の雪急の特急型車両においても、カフェスペースやミニサロン等の形で必ず設置されている。
列車愛称
・ゆうぎり:本線系統・速達、蒼風中央~湯霧湯本(湯霧登山鉄道直通)
・みつしろ:本線系統・停車駅多、蒼風中央~三城市(雪急線内完結)
・ねのしま:蒼南線系統・速達、南蒼風~湯霧湯本(湯霧登山鉄道直通)
・そうなん:蒼南線系統・停車駅多、南蒼風~三城市(雪急線内完結)
・みゆき:本線系統・停車駅多、蒼風中央~深雪ヶ原
・いほ:蒼南線系統・停車駅多、南蒼風~深雪ヶ原
(列車愛称の後の○○号は、基本的には奇数が下り、偶数が上り列車。一部炉里河合折り返し列車等で例外が有る)
関連企業
雪急車輌製造
雪々急行鉄道の新規車両の製造や車両検修、設備メンテナンスやシステム管理を手掛ける。
三城電気軌道
雪々急行電鉄の前身、三電郊外線
湯霧登山鉄道
雪々急行鉄道が大半の株式を所有する。特急列車が湯霧湯本駅まで直通。雪急グループ。
蒼南電気鉄道
同じく雪々急行鉄道が大半の株式を所有する。雪急グループ。
雪急バス塗帆
雪々急行鉄道系列のバス会社。高速バス「プレミアムドーリーマー号」や、路線バス等の運行をしている。
蒼風市交通局モノレール線
元は蒼風市交通局による公営であったが、現在は雪々急行鉄道へ運行業務を委託している。
激墜ち航空
雪々急行鉄道が大半の株式を所有する。雪急グループ。