「三城県」の版間の差分

提供:関南・東山地方Wiki
ナビゲーションに移動 検索に移動
(新規記事作成)
(相違点なし)

2022年3月29日 (火) 11:18時点における版

三城県(みつしろけん)は箱日本の塗帆地方北部に位置する県である。県庁所在地は三城市(みつしろし)。

概要

三城県は塗帆地方の北西に位置しており、西に面見山脈(つらみさんみゃく)、北に葵山脈(あおいさんみゃく)があり、その麓に平地が広がっている。

三城県は県庁所在地の三城市と、牧場原市、野菜間島市、御剱町の3市1町と、面見沢群(つらみざわぐん)の湯霧町、面見沢町、霧ノ湖町、風雲町、葵村、谷畑村によって構成されている。

その範囲は旧来の令制国の三城国(みつしろのくに)に由来する。

名称

三城県の県名は、かつての三城国からそのまま受け継がれており、かつての三城国の由来も、立派な城郭が3つある事に由来する。そのまんまやんけ!

その三つの城は、主城の柊ヶ沢城(ひがさわじょう)、支城の風雲岳支城(ふううんたけしじょう)、野菜間島支城(やさいましましじょう)に由来する。

現在の三城市中心部に位置する柊ヶ沢城は、有事の際は水路の上の橋や道を壊し、水堀の役目を果たす総構えの堅牢な平城で、

三城国中心部への進入を阻む南の守り、野菜間島支城は、川の合流地点にある高台の岸壁を生かした水城、

北の守りの風雲岳支城は奇想天外なからくり砦で敵を阻む山城である。

地理・地域

三城県は蒼風県程ではないが横に長く、地形は山野とその間の盆地が中心で、起伏に富んだ地形である。ぐらまらす。

三城県の各市町村は、

県庁所在地であり、かつては三州30万石の中心地であった工業都市の三城市、

塗帆地方でも有数の一台酪農地であり、酪農ビジネスで村から市に成り上がった牧場原市、

朝霧の絶景と高原野菜が名物で、塗帆地方住みたい街ランキング上位に食い込む野菜間島市、

古くからの住宅街と、新たに開かれた住宅地が隣接する御剱町、

北塗帆地方一の温泉地で、海外からも観光客が多く訪れる湯霧町、

湯霧町より古くから、湯治場として幾多の病人を癒してきた、秘湯のある面見沢町

海賊船の形の遊覧船で有名、三城県の水瓶霧ノ湖を擁する霧ノ湖町

天下に名高いからくり砦が観光名所、のんびりとした空気の風雲町

清流を生かしたワサビ栽培が盛ん、これぞ秘境といった雰囲気の葵村

三城城主御用達、谷畑仁園(やばたにえん)という有名なお茶農園がある谷畑村

の3市5町2村である。

歴史

三城県の原始、及び古代の歴史は、豊かな天然資源によって栄えた村が数多く存在したらしいということが、発掘された村跡の遺跡などから推測される。

記録が残っているのは平安時代頃からで、山賊などがはびこっていた三城周辺を、朝廷の命で街道を整備してこの地を守護するよう任ぜられた、

「三城氏(みつしろし)」が、次第に力を持ち守護大名として独立し、以後明治の廃藩置県に至るまで、13代に渡ってこの地を治めた。

戦国時代後期には錨帆国を治めた赤加賀氏との三赤(さんせき)同盟を結び、他の地方や南方からの侵攻に備えた。

特に政策や教養に優れていた、戦国武将の三城 松時(みつしろ まつとき)の教えや逸話は、塗帆地方の教科書に採用されるなど、古くから親しまれている。

非常に秀才であった松時も残念な点はいくつかあり、正室のお沫の方(おあわのかた。泡姫とも)にはべったりで、他国の武将がドン引きしていたという記録が多く残っている。

この松時の甘え癖は、箱日本TVの時代劇「甘えん坊将軍」の着想元となったと言われ、地元では「松時大福」という死ぬほど甘い大福が作られていたりする。

政治・行政

緊縛君主党を始めとする箱日本の逆張り政党は出禁にされている。

交通

鉄道は、三城県南東から中心部の三城市まで雪々急行鉄道が、三城市から幸楽(こうら)駅まで湯霧登山鉄道の登山線と、

湯霧登山鉄道の鋼索線(湯霧ケーブルカー)、面見温泉を経て霧ノ湖へ繋がる湯霧索道線(湯霧ロープウェイ)が運行されているほか、

三城市内を軌道線の三城電気軌道市内線(三電)が循環運転している。

鉄道は観光地周辺に偏っており、大部分の移動はバスかマイカーによって行われている。

バスの分布は、三城市から南方の野菜間島市方面が中心の三城南部交通、主に雪急沿線をカバーする雪急バス、湯霧温泉周辺をカバーする湯霧登山バスに分かれている。

なお、遅れが出ている時の湯霧登山バスは、面見峠ダウンヒルで70km/hオーバーの路線バスドリフトを決めながら七曲りを攻めることで有名。事故は今までに1件しか起きていない。

文化

意外なことに、三城県出身の有名人は少ない。

いつも名前に上がるのは、湯霧町出身のお笑い芸人「マイルド椙ちゃん」か、三城市出身のオリンピック水泳競技金メダリスト「田島 康介」の二名ばかりである。