「南芳寺」の版間の差分

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'''・法堂''' - 1523年建立の法堂で、県の重要文化財に指定されている。
'''・法堂''' - 1523年建立の法堂で、県の重要文化財に指定されている。


'''・三重塔''' - 夢窓疎石の時代に建てられ、その後荒廃していたが、千利休の次男・千少庵によって再興されたと伝えられる茶室。屋根は杮葺。西から東へ待合、廊下の間、次の間があり、次の間の北側に茶室、その北側に板貼りの広縁があって、全体としてはL字形の平面を有する。庭に向かって張り出す広縁は舞台造、三方吹き放ちでベランダ状の開放的な空間である。四畳台目の主室は、床(とこ)を亭主床[4]とし、客座の中央に付書院を設け、火灯窓を開ける。躙口はなく貴人口のみ、北側は広縁に連なり林泉を見渡すことができ、明るく開放的な茶室である[5]。幕末には岩倉具視がここにかくまわれていたことで知られる。
'''・三重塔''' - 建立当時は五重塔であったが、前述の通り放火で消失。その後円玄の時代に三重塔として再興。県の重要文化財に指定されている。
少庵堂 - 千少庵の木像を祀る。1920年の建築。
潭北亭 - 1928年、陶芸家の真清水蔵六(ましみずぞうろく)から寄進された茶室である。「湘南亭」「潭北亭」などの建物の名勝は中国の禅書『碧巌録』に出てくる句にちなむものである。

2019年5月18日 (土) 15:27時点における最新版

南芳寺(なんほうじ)は、上永県伊佐上郡咲羅川町咲羅二丁目にある、葱洞宗系単立寺院。

なんほうじ 南芳寺
所在地 上永県伊佐上郡咲羅川町咲羅2-1
山号 経縁山
宗派 葱洞宗系単立
本尊 釈迦三尊
創建年 延応2年(1240年)
開基 教爾
再興 円玄

歴史

伝承によれば、南芳寺のある場所は奈良時代には貴族の小野原時里の別荘があり、釈迦如来像が祀られていたという。

鎌倉時代に至って、天皇の勅願を得た教爾が別荘から寺へと改めたと伝える。当時は寺号を「広禅寺」と称し、釈迦如来を本尊とした。

1479年、放火により五重塔を消失。 1483年には洪水により被災し、得大寺の円玄により再興された。この際、寺号を「南芳寺」へと改称。

1931年より庭園が一般公開された。 1931年より誰でも参観できる観光寺院であったが、1982年4月からは一般の拝観を中止し、事前申し込み制となっている。 単なる観光や見学ではなく勤行という宗教行事に参加することが条件となっている。

伽藍

境内北側は池を中心とした苔の庭園であり、南側には本堂、法堂、三重塔などがある。

・本堂 - 建立当時から残る建物で、国宝に指定されている。本尊釈迦三尊を安置する。

・法堂 - 1523年建立の法堂で、県の重要文化財に指定されている。

・三重塔 - 建立当時は五重塔であったが、前述の通り放火で消失。その後円玄の時代に三重塔として再興。県の重要文化財に指定されている。