「倉太急行電鉄」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
42行目: 42行目:
=== 倉急電鉄へ ===
=== 倉急電鉄へ ===
 廃線より数年後、咲島地区の鉄道事業を放棄した'''島部鉄道'''に代わり、地元資本による'''倉太急行電鉄'''が設立された。出願した路線は、国鉄[[中坂駅]]から[[桐立市]]東神および[[咲島町]]を経て、[[香海県]]国鉄[[伊戸倉太駅]]へ至る路線と、東神から分岐して[[坂急電鉄]][[七島駅]]に至る路線の二路線としている。一方、初期は廃止された路線の復活に着手し、[[咲島港駅]] - [[中原台駅]]間、中原台駅 - [[上砥駅]]間、中原台駅 - [[大岩駅]]間、中原台駅 - [[木古川駅]]間(現:港線・島北線・木古川線・咲島線一部区間)を相次いで開業。<br>
 廃線より数年後、咲島地区の鉄道事業を放棄した'''島部鉄道'''に代わり、地元資本による'''倉太急行電鉄'''が設立された。出願した路線は、国鉄[[中坂駅]]から[[桐立市]]東神および[[咲島町]]を経て、[[香海県]]国鉄[[伊戸倉太駅]]へ至る路線と、東神から分岐して[[坂急電鉄]][[七島駅]]に至る路線の二路線としている。一方、初期は廃止された路線の復活に着手し、[[咲島港駅]] - [[中原台駅]]間、中原台駅 - [[上砥駅]]間、中原台駅 - [[大岩駅]]間、中原台駅 - [[木古川駅]]間(現:港線・島北線・木古川線・咲島線一部区間)を相次いで開業。<br>
こうして咲島の鉄道建設がひと段落着いた頃、咲島住民長年の悲願であった[[咲島大橋]]計画が持ち上がった。倉急電鉄はこの計画に参加を表明。桐立市の協力もあり<ref>七島新聞1983年3月25日付朝刊</ref>、咲島大橋の延長線上にあった廃線――旧[[南海道貨物線]]に接続し国鉄[[桐立駅]]貨物線跡地に乗り入れる[[倉急咲島線|咲島線]]を開業させた。これは当初の計画である東神(桐立市中心部)への乗り入れより利便性が低いものの、桐立市乗り入れは果たした。なお東神へは[[小島駅]]から[[桐立市電]]へ乗り換えることで向かえるほか、後に南海道貨物線を旅客化することで延伸した[[桐立線]]も小島駅に乗り入れるようになったため、ある程度の利便性は確保されている。<br>
こうして咲島の鉄道建設がひと段落着いた頃、咲島住民長年の悲願であった[[咲島大橋]]計画が持ち上がった。倉急電鉄はこの計画に参加を表明。桐立市の協力もあり<ref>七島新聞1983年3月25日付朝刊</ref>、咲島大橋の延長線上にあった廃線――旧[[南海道貨物線]]に接続し国鉄[[桐立駅]]貨物線跡地に乗り入れる[[倉急咲島線|咲島線]]を開業させた。これは当初の計画である東神(桐立市中心部)への乗り入れより利便性が低いものの、桐立市乗り入れは果たした。なお東神へは[[小島駅]]から[[桐立市電車|桐立市電]]へ乗り換えることで向かえるほか、後に南海道貨物線を旅客化することで延伸した[[桐立線]]も小島駅に乗り入れるようになったため、ある程度の利便性は確保されている。<br>
 一方で、桐立駅乗り入れ便宜への見返りとして西桐ニュータウン計画における鉄道建設(現:[[倉急西桐線|西桐線]])に着手することになった。この際西京乗り入れを画策し「桐立駅から十が原を通り国鉄[[美音倉駅]]に至る路線」として申請した。しかし営団の計画路線と重複していたため「十が原を通り国鉄[[鈴川駅]]に至る路線」とし、西京府内は地下鉄線への乗り入れ計画に変更している。このため西桐線はトロッコ規格に合わせて建設を行った。<br>
 一方で、桐立駅乗り入れ便宜への見返りとして西桐ニュータウン計画における鉄道建設(現:[[倉急西桐線|西桐線]])に着手することになった。この際西京乗り入れを画策し「桐立駅から十が原を通り国鉄[[美音倉駅]]に至る路線」として申請した。しかし営団の計画路線と重複していたため「十が原を通り国鉄[[鈴川駅]]に至る路線」とし、西京府内は地下鉄線への乗り入れ計画に変更している。このため西桐線はトロッコ規格に合わせて建設を行った。<br>
 その後西京側乗り入れ予定路線である五段下線が改軌されたことに合わせて西桐線も1067mm規格への改軌工事を行い、新規開業した咲島線桐立駅 - [[七島新町駅]]間および五段下線への直通運転を開始している。<br>
 その後西京側乗り入れ予定路線である五段下線が改軌されたことに合わせて西桐線も1067mm規格への改軌工事を行い、新規開業した咲島線桐立駅 - [[七島新町駅]]間および五段下線への直通運転を開始している。<br>
48行目: 48行目:


=== 烏倉支社の設立 ===
=== 烏倉支社の設立 ===
 [[倉急烏倉線|烏倉線]]は、烏倉神社への参詣路線として'''烏倉電鉄'''が開業させたものである。陸上交通事業調整法に基づき'''島部鉄道'''傘下となった後は、[[若部駅]][[烏倉駅]]間で細々と運営を続けていたが、80年代初頭から親会社である島部鉄道が烏倉電鉄沿線から瀬田市内へ向かうバス路線を拡充。[[若部駅]]で[[瀬田電気鉄道|瀬田電鉄]]への乗り換えを強いる状態が災いし、烏倉電鉄の輸送人員は目減りするようになった。これに対して烏倉電鉄は島部鉄道へ陳情しているが取り合われなかった。またこの当時から瀬田電鉄線との間に車両搬入用の直通線はあり計画もあった。しかし親会社である'''島部鉄道'''が瀬田電鉄と対抗している以上、利益相反となる可能性があり実現には至らなかった。<br>
 [[倉急烏倉線|烏倉線]]は、烏倉神社への参詣路線として'''烏倉電鉄'''が開業させたものである。陸上交通事業調整法に基づき'''島部鉄道'''傘下となった後は、[[若部駅]] - [[烏倉駅]]間で細々と運営を続けていたが、80年代初頭から親会社である島部鉄道が烏倉電鉄沿線から瀬田市内へ向かうバス路線を拡充。[[若部駅]]で[[瀬田電気鉄道|瀬田電鉄]]への乗り換えを強いる状態が災いし、烏倉電鉄の輸送人員は目減りするようになった。これに対して烏倉電鉄は島部鉄道へ陳情しているが取り合われなかった。またこの当時から瀬田電鉄線との間に車両搬入用の直通線はあり計画もあった。しかし親会社である'''島部鉄道'''が瀬田電鉄と対抗している以上、利益相反となる可能性があり実現には至らなかった。<br>
 こうして困窮極まった状態の中、烏倉電鉄は倉急電鉄に吸収合併してくれるよう持ちかける。当初倉急電鉄は慎重な姿勢であったが、関南地区全体に事業展開するための橋頭保として烏倉電鉄の吸収合併を決定した。島部鉄道としては寝耳に水の話であり、地元新聞社を通じて「親会社の同意なくして身売りするとは甚だ道義にもとる行為である」<ref>鳥丘報知新聞1988年5月2日付朝刊</ref>と激しく抗議したが、他の烏倉電鉄株主(主に沿線自治体)の積極的賛同を得ており、かつ以上の事情があったため倉急電鉄は取り合わなかったという。<ref>週刊朝潮1988年5月12日発刊分、p35「怒り爆発!烏倉電鉄の謀反」</ref><br>
 こうして困窮極まった状態の中、烏倉電鉄は倉急電鉄に吸収合併してくれるよう持ちかける。当初倉急電鉄は慎重な姿勢であったが、関南地区全体に事業展開するための橋頭保として烏倉電鉄の吸収合併を決定した。島部鉄道としては寝耳に水の話であり、地元新聞社を通じて「親会社の同意なくして身売りするとは甚だ道義にもとる行為である」<ref>鳥丘報知新聞1988年5月2日付朝刊</ref>と激しく抗議したが、他の烏倉電鉄株主(主に沿線自治体)の積極的賛同を得ており、かつ以上の事情があったため倉急電鉄は取り合わなかったという。<ref>週刊朝潮1988年5月12日発刊分、p35「怒り爆発!烏倉電鉄の謀反」</ref><br>
 烏倉電鉄を合併した倉急は、'''烏倉支社'''を設立し、凍結されていた[[烏倉駅]]~[[智美丸子駅]]間の路線計画を実現。さらに[[瀬田電気鉄道|瀬田電鉄]]との乗り入れを開始した。また、[[丹浦鉄道]]との乗り入れに際し、[[JMR中央線]]の[[本浦本駅]]~[[丸江津駅]]間下り線の第一種鉄道事業者免許を取得した。路線名は、第16回運輸省[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%AF%A9%E8%AD%B0%E4%BC%9A 都市交通審議会]関南地区部会により答申された桐立西部方面線計画<ref>"西京府美音倉から七島県桐立を通り、浦本県浦本に至る路線、ならびに七島県箱重から分岐して開島県長野浜に至る路線とする"第16号答申より</ref>を見据えて「[[倉急七島線|七島線]]」とした。<br>
 烏倉電鉄を合併した倉急は、'''烏倉支社'''を設立し、凍結されていた[[烏倉駅]]~[[智美丸子駅]]間の路線計画を実現。さらに[[瀬田電気鉄道|瀬田電鉄]]との乗り入れを開始した。また、[[丹浦鉄道]]との乗り入れに際し、[[JMR中央線]]の[[本浦本駅]]~[[丸江津駅]]間下り線の第一種鉄道事業者免許を取得した。路線名は、第16回運輸省[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%AF%A9%E8%AD%B0%E4%BC%9A 都市交通審議会]関南地区部会により答申された桐立西部方面線計画<ref>"西京府美音倉から七島県桐立を通り、浦本県浦本に至る路線、ならびに七島県箱重から分岐して開島県長野浜に至る路線とする"第16号答申より</ref>を見据えて「[[倉急七島線|七島線]]」とした。<br>

案内メニュー